昨夜の荻窪のTitleさんにて、文月悠光さんとのトークイベントについて。
二時間前に行き、ふと目についたブックデザイナー栃折久美子さんの『美しい書物』を買って、店内のカフェスペースで読む。室生犀星の『蜜のあはれ』の装丁のために金魚の魚拓を頼まれる話に惹かれた。
そのときにカフェで注文したスコーンについていた自家製の梅のジャムが美味しかった。甘過ぎず、梅の苦味がいい感じに残っているのが印象的だった。梅干しを作っていなかったら、このジャムの良さがわからなかったかもしれない。
初対面の文月さんには独特の鋭い緊張感があった。イベントが始まるまでの時間はあまり接しない方が良さそうだと思い、店内をぷらぷらとしたり、客席に座ったりしていた。ときどき控えのために用意されたスペースに行くと準備したというメモを見たりされていた。そのメモにはところどころ蛍光ペンが丁寧に引かれていた。
イベントが始まり、隣に座り、声を出したとき、自分の声がとても小さく、少し掠れていた。前著の刊行イベント以来、二年ぶりに多くの人の前で話す機会だった。自分ではそんなに悪くないコンディションであるような気がして、頭を使わずに話せるようになるのを待った。緊張していたのだと思う。
話の流れで、自分の文章を朗読してもらった。どうしてよいかわからず、微妙な笑みが浮かぶのを抑えようとしたがむずむずと漏れ出ていってしまう。一度朗読会に行ったことがあり、まさか自分のものが読んでもらえるとは思っていなかった。文月さんの朗読の声はすっとよく通っていった。
取り上げてもらった部分。
『声をかける』の「アウトサイダー」から
彼女から感じた静かな部分に集中すると、湖の水面が想起された。彼女に近づくごとに水面がざわざわと波立っていこうとする。その水面を静かに保とうとしながら近づいた。唇が合わさり、互いの体も重なっていくと、水面を通って水中に入り込んでいくような感覚があった。
同じく「蝶」から
どうしてだろう。幼い頃からそうだった。みなが同じことをしていると、ふと自分だけ我に返った。周りを見渡すと、周りの人たちは僕がその空間の外側に出て彼らを見ていることに気がつかなかった。そのときには不思議と誰とも目が合わなかった。みな、催眠術をかけられたみたいに自分がしていることに没頭しているように見えた。
そのときにふと目が合う人が稀にいた。小学生、中学生、高校生、大学生のとき、どんなときにも、それはクラスに一人くらいの割合で。彼らとは仲良くなった。それが集団の中で最も存在感のない人間であることもあれば、最も存在感のある人間であることもあった。
Titleの店内の雰囲気、見に来てくれた人たちの集中力に促されて、文月さんと話してみたいと思っていたことが話せた。正確な内容はおぼろげにしか覚えていないが、話した感覚ははっきりと残っている。
この二年、なるべくブログやツイッターは書かないように心がけてきた。ゆっくりと何度も書いたものを見直すことが、自分自身にとって静かで着実な変化をもたらすような気がしていたから。でも、この日のことは残しておきたくて書いてみた。