2016年


 自分が自分であることを知らぬ間に疑うことなく生きていることを実感した一年だった。
 毎日執筆のために時間を費やし続けた。書けば書くほど自分が思い込んでいることにぶつかる。ぶつかったときには、何にぶつかったのか、一体自分は何を思い込んでいるのかがわからない。ただ何かにぶつかったことだけはわかっている。それをなかったことにしたら、サラサラと書けてしまえるが、読んでもこれで良いとは思えない。しかし、そのことを考えるのは辛く、また原稿に向かおうと思うまでには時間がかかる。

 その毎日の中で講座やカウンセリングがあることに救われた。考え込むほどに自分の考えを正当化させようとしていく自分自身が、自分の歩みを最も阻む存在である。一方、他人の存在はいつも予測不可能で、自分が知らぬ間に見ないようにしていた感情に気づかされる。

 はっきりとした他人からの抵抗、訴えは無視できない。そういうものを受け容れることが必要なのだと思いながら、やれることを少しずつやってきた。それ以外にも、自分とは関係のない空間で他人が淡々と過ごしている姿を見ることで、ぼんやりと自分の中に浮かび上がってくる感情もある。その人のどこに緊張があるとか、どういう無理をしているとか、どういう意図があるとか、そういうことからではなく、なんとなくそうして目の前のその人は生きているのだなと、どこに向かうのでもない時間を過ごしていると、自分もまたなんとなくこうして生きる以外には特にできないのだと感じる。
 そのとき、また書き始めようという気分になる。