舞踏のワークショップに行って/AかBか…


舞踏家の誠司さんのワークショップに行った。

いつもとってしまう選択肢Aがあり、それとは違う選択肢Bがある。Aは一つ。Bはそれ以外。とても単純なことだ。常にBをとり続けるようにというワークがあった。それを聞いたとき、このまま死ぬのではないかと思った。僕はパターン化が嫌いだ。いつもと同じことを今日もするということが嫌いだ。そう思って、いつも新しいことを感じられることを楽しみにしている。しかし、どうだ。Bをしろと言われたときに、震え上がった。人が見る中で僕はBをし続けなければいけない。僕はBらしきものをいつも自分にセットした。そして、他人の前ではセットしたBを繰り返していた。僕の日常はBになる。しかし、僕の他人に対する態度はAだ。それが僕が他人に心を開かない人間であることの所以だ。僕自身の人生は進んでも、他人との関わりは変わらない。僕が変わったことで、他人を怖くなくなる。それは他者との関係性をその場で変えることというよりも、予め自分を変えておくことでしかない。

誠司さんと初めて会ったときに、自分には出来ないことがこの人は出来ると思った。しかし、それが何なのかは分からなかった。舞踏のワークショップのときは、必死で今までの自分の知識、技術を総動員させて上手くやろうとしていた。準備したものを組み合わせることで、その状況に対応することが今までの自分のやり方だった。そうだったのだということを今回のワークショップを終えたときに思った。パターン化しないことを心がけていたが、知らない間に同じパターンを繰り返していた。自分のことは本当に分からない。

Bをとろうとする。そうしたときにそのBがAになってしまう。またBを…それがAになる…Bを……全てがAになる。BとはA以外のものだ。Bの方が多い。Aは一つだけだ。なのにその一つのものにとらわれ続けてしまう。地獄のような体験だった。どんどん動けなくなる。動けなくなったときに身体が震え出していたように思う。意識がなんだかよく分からない形に分裂していきそうになる。目は完全に見開いたまま、動けない。A、B、A…B……A………A………………Aすら何なのか分からなくなった。止まってしまった。諦めたら、完全に気が抜ける。それだけは避けたい。そう思って集中していたときに何か動いた気がする。それが良かったのかどうかは分からないが、いつもの自分とは何かが違った。

舞踏が何であるかは分からない。誠司さんの作り出したこの空間のことしか僕には分からない。僕は完全にAかBかの牢獄に閉じ込められてしまった。そして、その牢獄に今でも喜んで入り込んでいる。この牢獄の中で、ずっと自分の過去を思い返して、そして外を見て…を繰り返している。Bとは何か。

他の人の踊りも見た。身体が震えながら、動けなくなっていた。彼が彼そのものの範囲の中にしかなかった。人の雰囲気は空間に広がる。それが彼自身の範囲の中に留まっていた。存在感がなくなったわけではない。だけど、自身のありのままの弱さがそこにはっきりとあった。それは強さともいえたのだろうか。彼について僕が知っていることが踊っている彼、硬直して震えたままになっている彼を見ていると、思い浮かび続けた。それは愛おしい存在だった。彼とはもう何年も前に出会って、一年半前には「愛の授業」というナンパのイベントまでした。初めて会ったときには六本木でナンパもした。あのとき、奈良で二人でこんなことをすることになるなどとは一寸たりとも想像し得なかった。

ワークショップを終えて、街の中に出ると人の動きを見るたびにAかBか、どちらだろうかと思って見てしまう。他人のBは自分のBよりも分かる。その人が動き出す先以外のところにいけばBだ。しかし、その今のままの自意識を持っている限り、Bになることはないだろう。ホームで電車を待っていた。僕は後ろの方で彼らを見ていた。電車が来た。扉が開く。彼らのAが見える。Bにはならないだろう。それが日常であり、自意識であるのだ。もし今彼らが止まったまま、自らの過去に意識を向けて、トラウマと向き合えば…なんて乱暴な発想が浮かんだ。そして、震えながら踊り始めたら…それはBだろうか。僕は一体今Aなのだろうかと思い、電車に乗った。

電車の中、過去のことが思い浮かんでは自分の中を駆け抜け続ける。目を開いて、注意深く電車の中を見つめる。人がいる。A…A…。自分にとって他人に話しかけることがBである時期もあった。しかし、それはもうAだ。動かずじっとして…周りの光景を自分の眼球に映し込ませる。僕にはBが分からない。一先ずこの電車の中に意識を行き渡らせた。それからこの電車の前の舞踏の教室のこと、そこにいた人たちのこと、それから今から帰る家、そこにいる家族のこと。なんだか感動して、生きていることが喜ばしく、過ぎていく時間を大切に扱わなければいけないこと、命はいつまであるか分からないということを思った。

一先ず…何が言えるのかというと、答えの出せない問いに出会ったということだけかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This blog is kept spam free by WP-SpamFree.