モテる


女の子にモテるというのはどういうことだろうか。僕は内気で、女の子にどう接していいのか分からなかった。大学でも本を読んでばかりいて、女の子と目が合うと、怖くてすぐに目をそらした。そんな僕のことを好きと言う子もいた。そのときはなぜそうなのかが分からなかった。今ならなんとなく分かる。童貞っぽさというか…内気さというか…そういうものが気になる女性はいる。

僕が初めてギャルとセックスをしたのは、スカウトをやっていたときに知り合ったある女の子だった。彼女をスカウトをして、あるキャバクラの面接に連れて行った。それから、数ヶ月後、彼女から連絡があった。キャバクラのボーイに付き合おうと言われたという。女性から恋愛の相談を受けるということなどは、願ってもないチャンスである。その当時の僕は隙さえあればセックスの数を増やしたいと思っていた。

彼女は金髪で服もぴったりと身体の線に沿っているギャルだった。ギャルにありがちなのか「私はギャルではない。」と言っていた。自分自身をギャルではないと言うギャルは何人か会ったことがある。そういう文化なのだろうか。

彼女の相談はこうだった。ボーイが好きだと言ってくる。付き合おうかどうか悩んでいる。また、整形しようかどうか悩んでいる。私はわがままである。僕は宮﨑あおいのような堅実な女性と長く付き合っていそう。そのような話をしてくれた。

なんとなく…彼女は誰でもいいから、好かれて、付き合いたいのだろうと思った。僕もまた、金髪の女の子に一度でいいから好かれたい、セックスをしたいと思っていた。ニーズが合致した。

彼女は相談のこと以外はあまり話さなかった。沈黙が流れる…僕が苦手なものだった。ギャルに沈黙されたら、僕がきちんと話題を提供出来ていないような気持ちになる。罪悪感、自分に価値がないというような気持ちで、身体が縮んでしまいそうだった。
「私、お金ためて整形したいの。」
彼女がそう言った。何の脈絡もない話題がポンと投げられる。僕は素っ気なく「そうなんだ。」と返した。そして、沈黙がまた訪れる。僕と彼女に接点があまりにもない。それでも家に誘うと、彼女は「いいよ。」と言った。セックスをして、付き合うことになった。
「さみしい」とか仕事の愚痴とか、色々なメールが来るようになった。僕にはそれらのメッセージが僕に発せられる文脈が分からなかった。結局、数回会ってセックスをして、僕が連絡を無視する形で別れることになった。

今でも、彼女のことはよく分からない。彼女に限らず、よく分からない人たちが世の中にはいっぱいいる。バーに行ったりして、周りの人たちの話をじっと一人で聞いている。彼女たちの話は…彼女たちの生活は…僕には分からない。僕の感覚とつながらない。だけど、彼女たちは生きている。僕にはどこか、彼女たちが自分自身の内側に入ることを知らずにいられるからこそ、動けているように見える。あの高い声…早いリズムの会話…人の目を見ずに活き活きと話すあの態度…。そういう生き方とは自分は無縁だった。自分はこれでいいのだろうかと、常に自問自答と自己嫌悪をしながら生きてきた。自己肯定とは、自己嫌悪にまで至らない思考の結果ではないかと思っていた。自己肯定というよりも、自己嫌悪の不在、忘却。

僕を好きになってくれる人はいつもそういう自己嫌悪に絡みながら生きている人であったような気がする。そういう人たちに好意を寄せてもらうことは簡単だった。ナンパをしながらそういう人との接触の数を増やしていたからこそ、ぽろっとつながりを持つことになったギャルだった。単純なもので、彼女とのセックス以降、ギャルを見ても怖くなくなり、僕は彼女たちに罵声を浴びせかけるようになった。ヤリマンだの、何も考えていないだの…。そうすると彼女たちからのウケは良くなった。そう言うとなぜか連絡が来る。なんとも不思議な気分だった。これがネグというやつだろうか。ネグは接待だ。つまらないから、つまらないと言うだけのこと。今でもそうやって人と接することがある。それしかすることがないから。

反対に、童貞っぽさ、内気さを残したまま人と接することもある。相手に興味を持ったときはいつもそうなってしまう。自分の中の相手への興味と、嫌われることの怖さとを抱えながら、じっくりと向き合う。そうやると、何か知らないけど好きになってくれる人がいる。そのときは僕も相手のことが好きだから幸せだ。

「ギャルとセックスしたいんです」と言うウィッグを被ったルソー君と歌舞伎町にいて、彼のことを見ながら自分のことを考えていた。彼は魅力的だし、女の子にモテるだろう。でも、ギャルにはあまりモテそうではなかった。いや、モテたとしても、ギャルをナンパするギャル男という感じではなかった。自分が誰に好かれるかが分かって、そうして好いてくれる人に合わせていけばすぐにセックスの数を増やせるだろう。でも、「ギャルとセックスしたいんです」という彼の切実な可愛らしい声を聞いて、その声が僕の身体をすっと通り抜けたので、反射的に「そっか」と頷いていた。

もし自分が女性だったら、彼とセックスするだろうか。そう考えたときに、「あなたとセックスするのはもったいない。」と言って去って行った人たちのことを思い出した。僕はすごく悲しかった。ひとときのセックスの時間があれば、そのときの僕のさみしさは癒されるというのに。だけど、安易に動かず、相手との想像の中のセックスに留まることで熟成されていく自分というものを、思い出しながら感じた。あのとき、セックスしたらどうなったんだろう。そう考える時間の幸せ。可能性が自分の身体の中に広がっていく。彼女たちがもし、したくないことを避けるためにそう言ったのではないとしたら、こういう感覚だったのだろうか。今でもそう言った数人の女性たちのことを思い出すことがある。それは彼女たちというよりも、そのときに現実化されなかった幾通りかの自分の可能性として。濃密な関係性を築いた他人とは、セックスはある種の儀式的なものになるものだと思う。僕が女性なら「ルソー君とはもったいないからセックスをしない」と言うだろう。

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