『ホムンクルス』/ナンパとカウンセリングの教科書


他人を見たり、他人と話しているときに感じる違和感がある。
例えば…あまりに動かない身体の特定の部分があったりする。特定の話をし始めたとき、その人が実年齢ではない年齢に見える。例えば、三十歳の女性が十七歳の女子高生に見えたりする。話を聞いていると、頭の中に様々な空想が浮かんでくることもある。目の前のその人と自分の間の空気が硬く、真っ黒なものになり、身動きを容易にとってはいけないような気持ちになることもある。

これは特別なことではない。誰もが、他人を感じるとき、何らかのイメージや感覚を使っている。ただ、緊張して、他人を見ることよりも、自分自身を守ることを選んだときにはそのようなことは感じ難くなる。

『ホムンクルス』を読むまでは、そのようなことをなかなか他人と話すことはなかった。カウンセリングを学び始めたとき、先生に、どういう感覚でカウンセリングと催眠誘導をしているのかと聞いたときに、このような特殊な感覚を語られたことはあるが、なかなかそういうことを他人と話す機会はなかったように思う。それ以外には、滅多に出会わない、特別に感覚の鋭敏な女性に、そのような抽象的なイメージで僕自身のことを描写されたりすることはあった。

『ホムンクルス』はそのような感覚の宝庫だ。他人を感じるとき、自分の内面にはどのようなことが起こるのか。そのことが緻密に、豊かに描かれている。それはただの妄想癖とは違う。他人との関わりの中で変化していく自分自身の内面のドラマである。

作者の山本英夫さんと初めてお会いしたとき、この漫画を描くときに催眠を使うナンパ師の話を考えていたということを伝えて頂いた。僕も読ませて頂いて、これは催眠療法、カウンセリング、ナンパの話だなと感じていた。道で声をどうかけるかということは書かれていないが、読んでいると様々な女性と接する度に自分が女の子に侵蝕されて変わっていく感じを思い出した。

僕はちょうど催眠療法を学んでいるときにナンパをしていた。催眠療法やカウンセリングは学んでも、クライアントを探すのが難しい。だから、経験の少ない状態では知識は増やすことが出来ても腕を磨くことは出来ない。経験が少ない状態でクライアントが来ても、未熟な技術で恐る恐るやらなければいけない。それでは何かを試すことが難しい。

だから、僕はナンパした女の子に僕は試し続けた。彼女たちの話を聞いて、言葉で働きかけたり、セックスをしたりして、彼女たちの内面を変えていこうとする。悪い方に向かわせたことも多い。今から思うと、催眠療法を試したいというよりは、ただ他人の内面が、僕が関わることでどのように変わっていくのかを知りたかっただけだ。関われば関わるほど、僕は疲弊していった。それがまた充実として感じられた。だから、僕はいわゆる、セックスがしたいからナンパする、女の子が好きだからナンパするというタイプのナンパ師ではなかった。彼らはいつも陽気だ。僕はいつも陰気だった。ナンパをし続けても、結局僕は彼らのようになれる気配はなかった。他人に対する関心の持ち方が違うのだ。彼らはさらっと女性を扱う。僕はじっと向き合おうとしてしまう。決して、他人から見て楽しそうなものではなかったと思う。

「催眠を使うナンパ師」…催眠を使うから人よりもナンパが上手いというわけではないだろう。催眠を使うから、他人に侵蝕されて苦しむということだろうと思う。それを山本英夫さんは描きたかったのだろうか。僕自身は催眠を使えるようになってから、ナンパがそんなに上手くなったとは思わない。それよりも、使えなかったときよりも苦しむようになったと実感している。

漫画を読んでいるとそのときの自分の感覚が蘇ってきた。寂しくて、傲慢な感じ。当時、そういう自分を非難されたら怒り狂っていた。怒るということは、その通りだったからだ。自分が寂しい人間で、傲慢な人間であることに間違いはなかった。それは今でもそんなに変わらないように思う。

『ホムンクルス』の主人公はそれを繰り返して、どう進んでいくのか。変化していく彼のことを自分のことを見守るように追っていくと…そこにいくのか…という結末があった。人を見るということはこんなにもシンプルな形に収束していくのかと思った。事実、収束するようにも思う。収束しても、それでも、より繊細になることは出来る。終わりはないように思う。

他人はいつでも、僕自身への問いとして目の前に現れる。現れてしまった以上、無視は出来ない。無視したとしても、その問いはまた追いかけてくる。別の人間がまた同じ問いを僕に突きつけてくるのだ。納得出来るようになるまで、ずっとそのことから逃れられない。それがいき過ぎればおかしくなるかもしれない。ただ、それだけだろうか。おかしくなってしまう以外にも何か道はあるはずだと思う。

最後の方のセックスのシーンで、僕は代々木忠監督の作品を思い出した。男性に対して恐怖心を抱いていた女性が作品の中でセックスをして人が変わる。そして、最後に監督に「男って何だと思う?」と聞かれ、「男って私。きょうまで私は自分を敵にまわしていた。男の人も女の人も、私なんだ。私だから一体になって当然なんです。」(「なぜオーガズムは快楽の延長線上にないのか?」より)と答える。そのときの彼女の表情は充足していた。その後にどうなったかはもちろん分からないが、その瞬間はとても幸せそうだった。(その映像はアテナ映像30周年記念特別版 代々木忠の「快感マトリックス」 [DVD] に収録されている。)

「彼女は僕だ。」という感覚は、幸か不幸かは分からないが、僕にも訪れた。ある日の夜、とても深いトランス状態に入っていた。家の中に一緒にいた彼女もそうだったように思う。そのときふと彼女の顔を見つめると、何か自分を見ているような気がした。そして、自分の中にも彼女が入っているような、合わせ鏡がずっと続くような感じだった。セックスをしたかどうかは忘れたが、不思議な充足感が続いていた。そのときがあまりに透明で、もしこれが人生のエンディングならと思ったが、今までの経験上、こういうときにエンディングが訪れたことはない。また次の日、その不思議な充足感が自分の奥底に秘められて、新しい山あり谷ありの生活が始まるのだ。

人が人と関わる。都市の生活の中では、その人自身ではなく、個人の抱えている価値観、固定観念が関わりあっているように見える。僕はその人ではなく、その人の抱えているものしか、深く関わらなければ見ることが出来ない。その固く張り付いたイメージたちと向き合って、そして更に深くその人自身を見ようとするということはどういうことなのか。『ホムンクルス』はそのプロセスを通じて引き起こされる心理的なプロセスが見事に表現された作品だった。

ナンパをしながら、心理療法をしながら、また様々な形で他人と関わりながら、他人と自分自身を知りたいと思う人に是非読んでもらいたい。

ちなみに、アマゾンで2000円ほどで全巻購入出来ます。

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