怖いけど欲しいもの/岩井寛『森田療法』


手を出すのが怖いけど、手に入れたいものがある。そうした葛藤を抱けることは、幸せなことだと思う。だけれども、多くの人はそれに手を出せないまま、日常を過ごしていく。「そう出来ればいいんだけどね…」という言葉…それを言いながら、毎日同じことを延々と繰り返してしまうこともある。

森田療法は心理療法の一つ。単純化すると、人間には失敗したくないという欲求と成功したいという欲求がある。失敗しないように守りに入る人もいれば、成功すると意気込んで無理をする人もいる。守りに入ればいつまでも欲求不満なままだし、無理をすれば続かない。森田療法では、失敗したくないという欲求を見つめる。それを恥ずべきこととしてではなく、人間として、普通のことであるとして認める。そうすることで、前に進むことが出来るという考え方である。

“西欧の心理療法と森田療法とのいちばん大きな違いは何かというと、西欧の心理療法においては、神経症者が何らかの形で心の内に内在させる不安や葛藤を分析し、それを‘異物’として除去しようとする傾向がある。これに反して、森田療法では、神経質(症)者の不安・葛藤と、日常人の不安・葛藤が連続であると考えるのである。したがって、その不安・葛藤をいくら除去しようとしても、異常でないものを除去しようとしているのであるから、除去しようとすることそれ自体が矛盾だということになる。つまり、この点で、西欧の心理療法が考える不安・葛藤およびそれに対処しようとする理論と、森田療法の考える不安・葛藤およびそれに対処しようとする理論は、まさに相反する立場をとるということができる。”

カウンセリングというと、嫌な過去、トラウマを除去するものと思い浮かべる人が多い。そういったカウンセリングが多くあるのは事実だけど、それをしてしまうと、当人をより過去に縛り付けてしまう可能性がある。森田療法は過去に焦点を当てるものではなく、その人の現在に感じている欲望に焦点を当てるものである。

(以下のよき欲望とは自分を向上させたいと望む欲望のことで、悪しき欲望とは自分をそのままの状態でいさせたいという欲望、つまり生命や権力などに対する欲望のこと。42ページの表に詳しく書いてある。)
“森田は…相反する欲望が、人間には同時に存在していることを受け入れているのである。しかし、神経症者は、人間にとってよき欲望を一方的に求め、悪しき欲望を否定し去ろうとする傾向がある。それは一見良心的に見えるが、実は、人間の欲望の真実を認めない、偏った思考にすぎない。”

同級生や同じ職場の人、合コンで知り合った人と付き合って、結婚して、たまに同じような環境の中で知り合った人と浮気をして、死んでいく。大抵の人はそうやって異性との関係を人生の中で構築していく。それは別に構わないことだけど、自分の中でそれでは納得出来ないものがあった。様々な欲望を認めて、それを達成させるべく進んでいく。森田療法の考え方もそういったもので、それはときにのんびり生きていきたい人にとっては、価値観を傷つけてくるようなものになるかもしれない。その一方で、それだけその人の人生を変化させる強力なものでもあるということだ。

自分にとってナンパは森田療法的だった。
僕は誰よりも他人に対して恐怖心を持っていると自分で思っている。人が怖い。異性は特に怖い。だけど、怖いということは、知りたいという欲求の裏返しでもある。街中で綺麗な人を見る度に悲しい気持ちになっていた。他人が怖い僕には、彼女たちと知り合うことは永遠にないだろうと。そう思ったとしても、諦めがつくわけでもない。また街に出て女性を見れば、自分の無能に悲しくなる。これは彼女たちを手にしなければ終わることがないのだと、そのときに思った。

その当時、僕は対人恐怖症のための薬を飲んでいた。これを飲まなければ外出することも出来なかった。このときからナンパを始めた。

声をかけることは一つの賭けだ。身を投じることだ。それは健康的に生きている人以上にそうだったろう。自分を上手く取り繕うことなんて出来ない。そんなに器用なら、こんな病気になどなっていない。自分の身体はあまりに正直過ぎた。怖いと思えば、緊張するし、顔中に汗をかいてしまう。顔もすぐに真っ赤になる。でも、それでもいいのだと思って、声をかけ続けた。

森田療法で言えば、女性を知りたい、上手くナンパが出来るようになりたいという欲望と、そういった未知の存在から逃げたいという欲望の戦いということになる。

声をかけた女の子には、「その一生懸命さがよかった。」と言われてセックス出来たこともあった。もちろん「なんか緊張し過ぎてて気持ち悪い。」と言われたこともある。彼女たちの反応によって、現実を知ることが出来た。自分にとって都合の良い現実もあれば、知りたくない都合の悪い現実もある。大切なのは、声をかける前に考えていたような都合の悪い現実だけではないということだ。そして、同時に、都合の悪い現実も実際にあるということだ。それを目の当たりにすれば、そうなんだと認めるしかない。

都合の良い現実も悪い現実も知ること。そして、等身大の自分を知ること。そしてさらにはっきりとした等身大の自分に少しずつでも近づいていくということ。そうするなかで、自分を知って、自分をどう扱えばいいのかが分かってくるものだ。

心理療法は魔法ではない。多くの心理療法はお客さんを集めるために、その効果を大げさに言ったり、良いことだけを言ったりする。でも、本当はそれだけではない。上手くいかないケースだってたくさんある。上手くいくケースだって、数回来ただけで人生に劇的な変化が起こったりするわけではない。
それと同時に、その人自身の中で劇的に心持ちが変わることもある。だけど、心持ちが変わって、生きる方向性が変わって、やることが変わって、付き合う人が変わって…というように、変化はゆっくりと訪れる。その変化の中で、本人が、心地良く前に進んでいけるようになることが大切だ。そうすれば、自ずと結果はついてくる。

僕にナンパを教えて欲しいと言ってくれる人たちは皆、そういうことを望んでいるような気がする。また、ただ単純に女の子とたくさんセックスしたい人なんて、世の中にはいないのではないかと思う。ナンパが出来るようになっても、或いはお金を使って女性と知り合う術を覚えても、女性とセックスをしている自分に価値を見出すというところに逃げ込む人が多い。快楽の中に入り込んで、自分を見つめることをしないようにしているように僕には見える。その目的を達成するのに躊躇するときまでは、女性と知り合うことが自分を発展させるよき欲望だったのに、それが簡単に出来るようになったとき、自分の成長を妨げる悪しき欲望に変わってしまう。

だから、僕はナンパを教えるとき、その人のナンパに対する欲望を終わらせるつもりで教える。
怖いから声をかけられない。怖いから他人に一歩踏み込めない。声をかけられたら、他人にもう一歩踏み込めたら、その人はもう他人が怖くなくなるかもしれない。或いは、もっと先に進んで、ようやく怖くなくなるかもしれない。それは分からない。

上手くナンパが出来るようになって、それをするのが怖くなくなったときに、自分のコンプレックスや対人恐怖なしに、女性を、他人を見ることが出来る。そして、自分にとって話すべき他者とは何なのかということを正直に思える。そのときには話したい人とだけ話し、セックスしたい人とだけセックスするようになる。それは理想的なことだと僕自身は思っている。

自分を正直に見つめて、自分の欲望を成就させること。そして、その先にまた新しい欲望を発見すること。生きているうちは、それが連続していくものなのかなと思う。『森田療法』はそのための参考になる本だった。

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