月別アーカイブ: 2015年12月

今年を振り返って

 自分が書いたものを読み直したり、話したり、動いたりするごとに自分の口から出た言葉や挙動を省みて、もっと深く集中して書いたり、聞いたり、話したりできるはずだったと思い続けた一年だった。「それは今の自分である」と、その認識を自然と得られるときもあれば、どうにかしてもっと良くしたいと願い、自分から表出したものを省みることを忘れてしまうときもあった。

 今年は初めて本を出版した。出来上がったものを受け取ったとき、何かに耐え切れず、一気に体調を崩してしまった。今、耐え切れなかったものは、孤独なのだろうと思う。出来得る限りのことをしたものだっただけに、自分が書いたものを他人に読まれるのが怖かった。しかし、孤独は葛藤の萌芽だった。その孤独の中に留まれたときに、より強い葛藤を自分の中に受け容れることができ始めた。

 カウンセリングでも、自然とクライアントの中に葛藤を見出すことが多くなった。自分が進んだ分だけしか、他人を見ることはできないことを日々痛感している。毎回、人と話をするごとに自分の崩れを見出す。一日に一度だけのそれはいつも怖くて楽しみなものであることは変わっていない。はじめたときからそうだった。来年はもっと細かく、他人に、自分の中に、その関係性の中に発生するものを見つめることができればいいなと思う。

 孤独だ、葛藤だと書いたけれども、カウンセリングや講座のクライアントの方々、本を読んでくださった方々、編集者の方々、指導してくださった先生方、それから本の表紙や帯、イベントの対談など、協力してくださった方々に感謝をして、この一年を終わります。

カール・ロジャーズ『エンカウンター・グループ』

 『エンカウンター・グループ』を読んだのをきっかけに、ロジャーズに師事し、黄金期のエサレンでも学ばれたカウンセラーの先生の行うエンカウンターグループに参加した。ロジャーズについての印象、当時のエサレンのことなどを伺えた貴重な時間だった。
「ロジャーズさんは進んでいく人でした。」
 先生がそうしてロジャーズとのことを語られた。『エンカウンター・グループ』に書かれているロジャーズ自身の告白も様々な感情溢れる活き活きとした人間的なもので、読んでいてその率直さにハッとさせられる。

 エンカウンター・グループは互いを認め合い、相手を攻撃せずにやるべきだと話す参加者たちにポツリと先生が言った。
「エンカウンターには、敵と遭遇するという意味があります。木刀ではいくら元気にやれても、真剣ではちょっと触れるだけで切れてしまうんです。だから、真剣になった途端に動けなくなってしまう人がいますね。それにグループで人から認められても、一人になったらその認めてくれる人がいないんです。だから、一人になって逆に落ち込んでしまったり。」
 僕はいつも自分がやっていることをきちんと否定できる人を信用する。そして、その否定こそがそれ自体についての本質的なことなのだ。
「……それでも、グループは面白いんですね。」
 最後にそう言った。その言葉に含まれた時間は、僕には到底感じ取れるものではなかった。

 そして、四十年以上も活動を続けられていることに話が及ぶと「うちももう長くやっているだけになってしまいました」とポツリと言った。その言葉は誰にも聞こえていないかのように消えていった。確かに知名度も高いわけではないし、千円の参加費で集まったお客さんも僕を含めて五人だった。参加者の多くもこの老大家の話を聞くというよりも、自らの話をすることに夢中になっているように見えた。しかし、それもこのグループのあり方としては良いのだろう。ただ、僕にはもったいないように思えてしまった。クオリティの高いものが高額で、人が集まるとは限らない。仙人の住む秘境ともいうべき場所ならむしろ反対であることが多い。

 人間の営みがただただ認められているような空間だった。肯定も否定もなく、発する言葉は宇宙に吸い込まれていってしまうような。人が何かを欲すれば逃げていく。それも世界がそのようにあるに過ぎないのだというような。
 僕ならその願望が得られないようにしているその人の動作や感情に介入するだろう。しかし、それも一時的なものでしかないのかもしれない。その願望を求める方向へといった分のまた別の悩みが生まれる。しかし、そうなるのもまた、僕が介入せずとも、なるべくしてなったものでしかないとも言えるかもしれない。そこにあるカウンセリングの意味とは。そう考えると、カウンセリングが無に帰していくようにしか思い浮かばなかった。しかし、無のように見えたそれには、僕の感覚では未だ知覚し得ない小さな運動が起きているのだろう。その証拠にというべきか、僕の二倍以上の年齢のカウンセラーの姿が脳裏に焼き付いて離れない。