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何らかの行動をする理由

 うまく思い出せないことについて、僕は思い違いをしていることが多いようだ。
 ナンパの物語みたいなものを書いていると、結構な頻度で壁にぶち当たり、進まなくなる。出来事を思い出したりしてもなんだか靄がかかっていて、その出来事が見えてない。あったことはあったんだけど、自分とはつながりがないようなもののように思われる。それらの多くは自分の支配欲求や恨み、それよりも前に達成できていなかったことによって行動していたと思い込んでいたが、その奥には、様々な欲求や記憶が流れていて、むしろそれらによって僕は行動していたのだということを知ることが多い。そのときに感じていた些細なことが手掛かりになって、気づいていなかった自分の行動を促していたものを知る。

 既にしたことであってもこうなのだから、今していることなんて、どうしてやっているかなんて分かりようもないと思う。ただ、気が進むものにだけ手をつけて、体を動かすのみ。なぜそれをしたくて、結果的にしたのか、それはあとになってしか分からない。しかし、意識があるというのは不便なもので、うまくいかなくなると「どうしてこんなことをやっているのだろうか」と自問自答を始めてしまう。それなら他のこと…例えば、散歩をしたり、本を読んだりでもして、何か違うことに思いを馳せていた方が新しいものを見出せる。最近はずっと家で『デュラララ!!』を観ながら気功をして、散歩して、喫茶店で本を読んでいた。どの街にも、その街にある程度詳しい人だけが知っている場所とか、事情とかがあるような気がする。