月別アーカイブ: 2015年9月

 最近、十年ほど前のことを五年ほど前に書いたものを読んでいた。
 十年前の自分は、カウンセリングのトレーニングを受け始めたとき、人と話しているときに緊張すると、唾を飲み込んで目を閉じる癖を先生に指摘されていた。そして、その癖をどうやったら改善できるのか思い悩んでいた。先生は指摘し、それを改善するように伝えただけだった。

 その当時、知っていた改善する方法はただ次は頑張ってみるというくらいのものだった。別の日のトレーニング中にまた同じ癖を指摘されたが、どうやって自分の癖を直せばいいか、さっぱり見当がつかなかった。

 あのときの自分が目の前にいるなら「しばらく目を閉じて、自分の焦りや恐れを感じて、自分の気持ちに正直になって…落ち着いてきたら、目を開けて、目の前の人を見て、そのとき相手を見たまま、自分が何を感じるか、自由に口に出してごらん」と伝えるだろう。
 緊張し過ぎて、自分が何を思っているかが分からなくなっていたのだ。

 そのときの自分のことを微笑ましく見つめることにとても時間がかかる。瞬間だけ切り取れば、なんて愚かなんだろうと嫌になる。しかし、彼を一人の人間の一生の時間の流れの中に位置づけると、その流れを妨げないもっと凝縮された一言、ひと関わりが見えてくる。十年前も急いでいて、五年前も、つい最近も、自分が先にいくことを急いでいるということに気がついていなかった。