月別アーカイブ: 2015年8月

席について

 最近、ずっと本を書いている。
 毎日十二時までには起きて、シャワーを浴びる。そのあと、運動をする。気功をしたり、習っている韓氏意拳をしたり、平均化訓練をしたり。今は教えてもらった、立ったりしゃがんだりを繰り返す運動が気に入っている。

 書くために、家から歩いて五分もかからないところにある喫茶店に行く。家の周りには喫茶店が多いが、集中できる椅子はいくつかしかない。その日の気分によって決める。窓から外を眺められる席。店の端の目立たない席。店を大きく見渡せる席。人の会話をたくさん聞ける席。それぞれが良い雰囲気を持っている。それ以外の席だと書けない。

 最も頻繁に座る席は、大抵空いている。近所の人たちはこの席の良さに気づいていないのだろうか。その席が空いているのに、別の席に座る。彼らが別の席を選ぶ理由が分からない。しかし、その席は僕の性質にとても合っているのだろうと思う。どれほどこだわるかは違うとしても、皆、席は選んでいるだろう。

 ある日などは、二人がけのその席の、反対側に座っている人がいてびっくりした。試しに彼がいなくなったあと、彼と同じようにいつもの反対の席に座ってみたが、悪くはないが、いつもの席に座れるというのに、その反対の席に座るということの良さが分からなかった。
 喫茶店の店員も、あの席の良さには気づいていないのだろうか。休憩中にあの席に座る人を見たことがない。彼らは別の席に座っている。

 そういう特別な席しかない喫茶店を作ることを夢想することがあった。そうするとすぐに気がついた。特別な席はそうではない席がなければ現れてこない。もしあの喫茶店に、あの席しかなかったら、それは全く違う席になってしまう。決して座ることはない、その隣の席がもしなかったら、それだけでもう違う。

怖いということ

 最近、ナンパの小説みたいなのを書いている。書くと感情移入してしまうので、そういうことをし始めたときの自分の感覚を思い出して、対人恐怖気味になったり、そこから無理をして虚勢を張った状態になったり、自分の身体の中が忙しい。

 対人恐怖の感覚を持って、街の中に立って、拾える感覚を集めている。少しぐったりするけど、なかなか面白い。他人の一挙手一投足が自分の身体に影響を与えてくる。ここにはたくさんの情報があるということに気がつく。

 江坂さんと釣りに行ったとき、針にかかった魚をパニックになりながら外そうとしていたのを彼が見て、「殺生に対する感覚が自分は鈍っているのかもしれない」とふと言ったことを思い出した。暴れたら死んでしまうし、こんなに暴れられたら僕もどうしていいか分からない。針から魚を外すことに葛藤と困惑があった。自分には向いていないと思い、それから釣りには行っていない。

 元々自分はかなりの怖がりで、カウンセリングや武術を学ぶ中で落ち着くことがようやくできるようになってきたものの、怖さはあまり変わっていない。だから、対人恐怖だと言ってカウンセリングに来る人と渋谷の街を一緒に歩いたり、話したりしていると、その人の針にかかった魚のようなピクピクした動きがなんとなく伝わってくる。そうだよなと。
 何を怖がっているか、どう怖がっているかは人によって違う。その人特有の怖がり方がある。話を聞いた後にまた街に立ってみると、また新しい怖がり方が見つかる。怖がっている自分がいて、そして、それを自分の身体の中で流しながら味わう自分がいて、それを何らかの言葉にする自分がいて、それをiPhoneのevernoteに打ち込む自分がいる。
 たくさんのノイズがあって、緊張があって、それを認識することも、どうかすることもなく放出している人々がいて、そういうことを感じていると、悲しいような、幸せであるような、それが同じ場所で成立していることが美しいような、そういうことを思う。そうすると、ノイズの中にちょっとした美しい音や動きがすっと溶けて入っていたことに気づいたりする。