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止まること

 最近、止まることについて考えることが多い。止まることは難しい。多くの観察や、自分の感情、感覚の流れがあればあるほど、止まることができる。そうではないときは、すぐに話したり、動いたりしてしまう。大体、そういうものが自分の過失や軽率さを作り出しているように思う。

 止まると静かな時間が訪れる。その時間の中で生まれた考えは、深い海の中で見つけたような感じがあって、そのことをとても昔にあったような気がする記憶のように思う。また思い出そうとしても、かなり集中しなければ思い出せないような。

 止まった静かな時間の中の考えによって動くと、自ずとまた違った質の時間を流れさせる。そういう止まった時間を作り出すものに必要なものは一体何だろうかと、自分を省みたり、他人の動きを見ながら考える。

 自分の生活の中だと、夕方の散歩のときだったり、深夜に一人で何もせずに座っているときだったりする。そういう時間によって、止まることの質が深まっているような気がしている。

 また、気づいたときに一度止まるようにしている。最近、じっとしている時間が増えた。次に動きだすまで、自分のことを待っている。待っていると自分の中の緊張や、考えなど、余計なものがなくなって、また自然と動き始めそうな気がして、その後動き始める。

 他人と話しているときも、止まることが多くなった。一体今この空間に、この自分を含めた人間たちに足りていないものはなんだろうと止まる。特に考えるわけでもない。止まっていると、自然と口が動き始めて何かを話しそうになる。そうなることも止めて、もう少しだけ止まっていると、また口が動きそうになる。どこまでも止まっていた方が良いのかもしれないと思う一方、それではおかしいかもしれないと思い、結局は何かを話す。