月別アーカイブ: 2015年4月

ミルトン・エリクソンと站椿功

本を書き終わったので、時間が空くようになった。自分にとってはかなり大変なことだったので、何かぽっかりと穴が空いたような感じがする。抜け殻で、何のために生きたらいいのかという感じ。書くことの負荷が日常になっていたが、自分にとってそれほどのものだったのだろう。幸せなことだ。
何か新しいことをと思い、韓氏意拳を始めてみたり、本を読んでみたりしてみた。

本を読むのは好きだ。何か特別に出会った人と、豊かな時間を過ごしているような感じがする。
書いているときも読んではいるのだけど、少し違う。読んでいるときも、読んでいるようで書いていた。頭の中では自分の書くことがずっと巡っている。
カウンセリングや講座のときだけ、書くことを忘れて臨むのだけど、この忘れるために使うエネルギーが結構かかるものだった。
書いているとき、僕の場合は激しい躁鬱状態に入る。躁のときに現れる想念と、鬱のときに現れる想念は違う。どちらも大切なものだ。
カウンセリングは躁でも鬱でもいけない。自分の中で振れてしまったものを戻すのに結構な時間がどうしてもかかってしまっていた。

これまで何度も読んでいた『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』を読み始めた。この本は素晴らしい。エリクソンの講座が文字起こしされている。ここで行われていることを知るために自分の講座でも再現したりしてみたが、これでかなりの時間を遊べる素晴らしい本だ。
読んでみると、これまで以上に何か分かる感じがする。初めて読んだときは一生かかっても読み切れないと思ったものだったので嬉しかった。
理解が進んだのは、恐らく、韓氏意拳を光岡先生に教えて頂いたおかげだ。僕はそこで未知の腕浮揚の感覚を味わった。腕浮揚とは、無意識的に腕が動いていく、エリクソンが多用した催眠誘導の方法である。今までも味わったことがなかったわけではないが、韓氏意拳のレッスンでは本当に不意を打たれたタイミングで腕が動き始めた。そのとき、目を開いていたにも関わらず動いたことに気がつかなかった。周囲に対する認識がかなり落ちていて、恐らく負の幻覚も起きていた。

トランスの誘導は、僕は、誘導する側とされる側の差において現れると思っている。差があれば、誘導される。意識できる、できないに関わらず、外から見ていたらそれは明確に現れている。
日本において、催眠と銘打たれたカテゴリーの中には、最早求めているトランス誘導を見つけることは難しいと思っている。ポリオから徐々に身体の動きを取り戻したエリクソン然り、トランス誘導の上達のためには相当な身体的な訓練を必要とする。なんとなく参加した講習会だったが、まさかここで腕浮揚を体験するとは思わなかった。

また、別の日、同じく站椿功の指導を受けているときに「怖がらなくていい」と言われた。その瞬間には、自分が怖がっていることを自覚していなかったので、何を言われているのか分からなかったが、一秒後、身体が震え始めて汗がじわりと全身から出始めた。目の奥に光が溢れるような感じで、自覚していなかった恐怖が消えて、自分が別の何かに変わってしまったかのようだった。先生は催眠療法士ではないが、この質のトランス誘導をできる人が世の中にどれだけいるだろうか。

エリクソンはトランス状態に入ったとき、人は幼児と同じような全身運動をすることを、マーガレット・ミードに書いている。
その反対もあるのではないかと経験的に思う。韓氏意拳の講習会の後、自分の無邪気さを感じた。

無邪気さは生活の中で容易に害われる。ちょっとしたストレスとかで、その状態が失われる。トランス誘導やカウンセリングとは、その状態をいかに味わってもらうかということなのかもしれないと思っている。

最近、昼から本を読んで、夕方になったときに一時間ほど散歩をすることが多い。
読書と夕暮れはかなり深いトランスに導いてくれる。そのときに、站椿功のときのあの状態にも近づいていくのを感じる。なんとなく年齢が退行する感じがする。だけど、それは意識を失って子どもになるということではない。歳をとるに従って、勝手に作られてしまった何かが突然解けていくような感じがする。そのとき、何があったというわけではないけど、幸せとはこういうものだろうと感じる。

催眠の習得の仕方2/言葉について

 前回からかなり時間が空きました。ここで書いていることはほとんど講座やカウンセリングの中で質問をされたときに話していることかなと思います。催眠の知識などについては本を読むのが早いでしょう。前回挙げた二冊にはトランスの説明や、催眠誘導の導入についても細かく書いてあります。
 またポール・L・ワクテルの『心理療法家の言葉の技術』の第11章「帰属的コメントと暗示」の中にも暗示や催眠について、非常に細かく、分かり易く書かれてあります。この部分を読むだけでも、催眠の歴史や、暗示の効果についての理解が深まる筈です。

 本を読んだら分かることは省いて、僕自身が考えていること、意識していることについて書いていこうと思います。今回は言葉について。身体感覚については前回書きましたが、純粋に言葉だけについて語るというのはとても難しいです。なぜなら、どのような言葉も、誰かから発せられたり、どこかで見かけたり、また自分で思い描いたとしても、そのときの状況や感覚が伴います。だから、純粋な言葉としてだけ切り離すことは難しいのですが、その辺のことも考慮しながら読んでもらえると助かります。

 言葉の効果を知るためには、どんな言葉が自分を今の状態に運んできただろうかと思い返してみることが大事です。自分にとって、印象的な言葉はどんなものでしょうか。誰かから言われてずっと覚えている言葉、どこかで見かけて印象深かった言葉、本で読んだものでも構いません。誰にでも、印象的な言葉があります。

 それは悪い意味では呪いのようなものだったかもしれませんし、良い意味では励ましや自分自身の本質を伝えてくれるものだったかもしれません。悪いのも良いのも含めて、様々な言葉に影響を受けて、今の自分があるはずです。
 催眠を学ぶ者としては、良い言葉は人を進ませる暗示とは何かを教えてくれるし、悪いものは他人の前で口を開くときの注意深さをもたらしてくれます。

 普段からよく思い浮かんでいる言葉もあるかもしれませんし、「あぁそういえば」と久しぶりに思い出す言葉もあるかもしれません。

 印象に残っている言葉はなんでしょうか。

 そして、それが自分の人生の中での行動にどのような影響を与えたでしょうか。

 もし、その言葉が他人から発せられたものであったとしたら、発した人はどのような考え、気持ちでそれを発したのでしょうか。

 こんなことをぼんやりと思っていると、言葉について敏感になるきっかけとなる考察が生まれたりします。
 また、こうやって自分のことを丁寧に思い返していると、他人から与えられる言葉による暗示にも敏感になって、悪い暗示にもすぐに気がつきやすくなります。相手がどんな意図でその言葉を発したのかをすぐに察知できれば、他人の悪い暗示に翻弄されることもありません。

 技術的な部分については、とてもたくさんありますが、大切なのは自分の中にある言葉を探すことかなと思います。次回は会話の中で忘れさせることの意味か、時間歪曲について書こうかなと思います。

状態の変化について

 最近のカウンセリングと、カウンセリングWSを思い出している。

 クライアントから「こんな平凡な悩みでいいのかと思ったんですけど…」とカウンセリングの始まりのときに言われることが多い。些細なこと、ちょっと気になるという程度のことに考えを巡らせられるということは素晴らしいことだと思う。そういうことの中に、自分の状態を変えるきっかけが眠っている。

 いつもより周りがはっきりと見えるとか、自分の気持ちを細かく感じられるとか、そういう状態になるには、日常の中にあるちょっとした違和感に意識を向けて、その違和感の正体に気づくことが大切なのだと思う。うまくいっていないというわけではないけど、なんだか気になることが日常の中にはある。そのことを丁寧に見つめたときに訪れる、いつもとちょっと違う状態。その状態で一日を過ごしてみると、その状態が自分の中で当たり前のものになる。そうすると、また別の違和感のあるものが見つかる。

 カウンセリングWSで参加された人たちを見ていると、この状態の変化の感覚を味わってくれた人は、すんなりと様々な技術を身につけていくように思える。
人と話す中では、状態の変化を味わい易い。他人に対する意識の向け方を変えるだけで、状態の変化は訪れるから。何を話そうとか、どのように聞こうかとか、そんなことを考える必要はない。その自分の状態に見合った動作を、自分自身が勝手にとってくれるのに身を任せるだけで良い。それまでにはなかった他人への思いやりや質問の発想が生まれたりする。
子どもが初めて見るものを無心な驚きを持って見つめるような感じで、自分の中で起きた状態の変化をじっと感じ入っている人を見たときに、こういうことをやっていて良かったなと思う。

 一方、自分の状態の変化を起こせる場や訓練のことを思う。もしまた目の前の人に何かを伝えることが出来るとしたら、自分もまたその人と同じように状態の変化を味わったときだろう。そのとき、心地良い貪欲さが生まれるのを感じる。