月別アーカイブ: 2014年11月

感情を感じる

 感情に流されないことと、感情を感じないこととは違う。この仕事では、感情を丁寧に感じられればられるほど、多くのことが見えてくる。その一方で、その感情に流されたときには、それがもし相手への愛情などであったとしても、余計なことをしてしまうことになる。

 感情に流されない方が上手くいくことはなんとなく分かっていた。しかし、そうなると、冷たくテキパキとできる人が良いのだろうかと疑問に思ったこともあった。
 カウンセリングを始めた当初はクライアントの話を聞いて、身体が震えたり、涙が流れることが多かった。その気持ちのままに動くことが良いことだと思っていたこともあった。しかし、それをすると、他人を蔑ろにしてしまう。他人の思考と感情を奪い、僕自身の価値観や感情を植えつけることになる。しかし、それをしているときは良いことをしている気持ちになっているのだから、困ったものである。自分のうちに自ら感じる善意は、今の自分のしていることを客観視するべきだという警告であった。

 もっと若い頃に年上の人に、君には才能がある、能力があると言われて喜んだことはある。その場では高揚して、大体次の日には、果たして自分にはそんなものがあるのだろうかと、考え込んで憂鬱になる。きっと言ってくれた人は、僕を救ったような気持ちになって心地よかっただろうなと思う。僕も酔っ払ってそんなことを言いたくなるときがあるし、言ってしまったことは多々ある。また、その言葉を年上の人に求めにいっていた節もある。彼らが言ったのか、僕が彼らに言わせたのか。

 感情が感じられ、その感じたものを感じつつ、自分は自分で、感情があるところとは違うところにいる。その感情は今の自分自身が目の前のものを認識して得たところのものであって、世の中の真実ではない。随分と自分は感情と癒着してしまっていたものだ。自分が感じたものを真実だと知らぬ間に思い込んでいた。運動をしているとき、自分にとって感覚し難く、動かし難いところを懸命に動かそうとしていると、ふとそういうことを思う。

小さな声

 「声が小さい」と幼い頃からよく言われていた。もっと大きな声で話せと言われると、言いたくなくなって口を噤むことも多かった。
 小さな声。聞き取り辛いものではあるけれども、じっくり聞いていると明瞭に聞こえ始めてくる。特別に声が大きくなったわけではない。心を開いてもらったのかなと思う。小さな声でもよく聞こえてくる。

 喫茶店などに行くと、声が大きい人が多い。少し大きめの喫茶店だと、声が反響して、店内にぼわぼわと音の膜みたいなのが張っていることもある。無理に声を大きくすると乱暴になる。張り上げていくと、どんどん自分の感情に対する繊細さが失われていく。

 自分の声は今でも小さいけど、少しは通るようになっているような気がする。恐らく催眠術をやり始めたときからだろう。催眠術を学び始めたときは上手く発声できなかった。何か人に暗示を与えることが暴力的な感じがして、いつも発声をするときに躊躇していた。それでもどうしても上手くできるようになりたくて、家で一人で練習し続けていたときに、ふと夢中になって暗示を唱えているときに自分の心身が暗示に強く反応していることに気がついた。そのときに今までと違う不思議な声が出ていたのを覚えている。小さいけど、何かすっと通るような声だった。発声したいことのイメージを自分の心身に強く作り出すと声が変わる。無理に張り上げるわけではないから、自分の感情や感覚に嘘をついたりする必要はない。

 そのコツを掴んでから催眠術ができるようになったように思う。暗示を与えることに抵抗がなくなった。暗示を与えるというよりも、暗示を受けた自分の身体、声を被験者の目の前に置くという感じ。被験者が目を閉じているときは声だけに集中する。身振り手振りを抑えるから、さらに声に集中することができる。その話し方が次第に普通の話し方に変わっていって今に至る。話すときは、感覚と感情の作り出すイメージに集中しているだけで、ほぼ無意識に発声している。そして、自分の発声を観察している。今は自分の小さな声が好きだし、他人の小さな声も好き。