月別アーカイブ: 2014年10月

昨日は平均化ワークスだった

 昨日は平均化ワークスだった。平均化訓練を学び始めてから、試行錯誤してきた。自分自身が平均化訓練をどう自分の身体と心の動きに消化していくかということと、これまで自分が身につけてきたこととあわせてどう他人のために伝えられるかということについて、やってもやっても先がずっと見えない。平均化訓練に随分と振り回されたり、自分の他人に対するスタンスについて考えさせられたり、自分自身の感情や感覚に対する精度を高めるきっかけを与えられたりしてきた。

 様々なトラウマセラピーは、基本的にはカウンセリングとボディワークがセットになっている。それをいかに組み合わせるかということが、セラピストの感性になるだろう。僕は気功と平均化訓練が性に合っている。自分で動かしてもらう中で、普段意識していない筋肉を感じて動かしてもらうことを伝えるのが何よりも楽しい。そのときに、その人のパターンが変わっていくことを目の当たりにしたときには、神秘体験にも近い不思議な感じがすることもある。クライアントの感覚を同調してとってみると、涙がすっとこぼれることがある。きっと僕自身にも良い影響があるのだろう。この仕事ならではの幸福である。
 気功も平均化訓練も単純な動きであるし、家に帰って一人でもやってもらい易い。また、自分自身で動かす中で意識できることが増えていくから、依存させてしまうことも少ないと思っている。

 カウンセリングや講座で二度目に来る人が、その前に伝えた動きを練習してくるのを知ると嬉しい。じゃあ一緒にやりましょうという流れになる。セラピーに絶対はないし、人の動きや感情、生活に対しての絶対的な理解もありえない。自分も悩みを抱えている一人の人間として試行錯誤を繰り返し、変化していくことに対する柔軟性をクライアントよりも持ち続けていたいと思っている限りは、今やっていることを続けることになるのかなと思う。

ここにしかないもの

 教えてもらった飲食店を色々と巡っている。安くて美味しいもの、美味しくて安いものは違うという話を紹介してくれた人に聞いた。それは確かに違う。そして、「ここにしかないもの」はこの二つとも違う。正確に言えば、「ここにしかないであろうと思われるもの」になるかもしれない。もしかすると、「ここにしかないもの」だと思ったものをより安く提供している店はあるかもしれない。そうなると、それは美味しくて安い店になってしまうかもしれない。教えてもらった飲食店は「ここにしかないもの」を出してくれるところだった。

 「ここにしかないもの」を作り上げるのは難しい。そういうお店に行く度に、自分のカウンセリングはそういうものになり得ているだろうかということを考える。まだまだ自分のカウンセリングにはたくさんの穴がある。或いは、死ぬまで穴はあるものかもしれない。埋めたと思ったら、また新しい、今までは見えていなかった小さな穴が見つかる。その小さな穴を見れるだけの視力、集中力が必要になる。小さな穴を見つめて、埋めていく。

 埋めていくときには様々なイメージが浮かんでくる。クライアントの言葉や動きの中で、そのときの自分には拾えていなかったものが、自分の身体に押し寄せてくる。申し訳なかったという気持ちがあり、自分勝手ではあるけれども、心の中で一人謝ると、自分がその中で感じられていなかったものが芽生えてくる。人間の中にこういう感覚があったのだと。それは僕自身が、無意識には感じていただろうけれども、自覚がなかったものだ。

 幸い、こんな風に聞いてもらったのは初めてだと言われることがある。嬉しい。嬉しいけれども、その中にだって必ず穴はある。嬉しがってはいけないけど、嬉しさを感じて、すぐにそれを捨てなければ甘えてしまう。

 「ここにしかないもの」を感じさせてくれるところには、それだけのものを出しても尚進んでいくのだろうなという雰囲気がある。

寂しさ

 カウンセリングをしていると「寂しさ」について問われることがある。直接それそのものについて問われることもあるし、多くの悩みは「寂しさ」のヴァリエーションととることも出来る。例えば、人と上手く話せないことだって、コミュニケーション能力の問題ととることも出来るけれども、「寂しさ」の募った挙げ句の状態ともとれる。

 「寂しさ」は底知れない。僕もこのことについての底を知らない。しかし、「寂しさ」を知っている分だけ力強さがあることは感じている。
 「寂しさ」をすぐに表層的なもので解決し続けていると強さは宿らない。それに対して、一人でじっと葛藤をし続ける術を知っている人は強い。それは自分自身と対話する能力ともいえる。

 「寂しいです」と言われたときに、その解決策を僕は知らない。その人の「寂しさ」が安易に失われないように、しかしそれに圧し潰されてしまわないように、「寂しさ」がその人自身を育む力になることは出来ないかと、丁寧に話を聞いていくしかない。その時間の中では、その人の生命力がとても細かく揺れ動いている。その揺れ動きがいつまでも続くように、ただ力強くなることを鼓舞するのではなく、弱くなるときにもその揺れ動きを続けながら一人でいることの甘苦を味わい続けられるように、目の前の人を見れる強さと繊細さを持っていたい。

 僕も「寂しさ」を人に吐露したときに、口から言葉が漏れた瞬間から赤ん坊のように泣きじゃくりながら、自分自身のことを話し続けていた。話せば話すほど、幼児に退行していって、そのまま胎児になってしまうかのように思われた。