月別アーカイブ: 2014年9月

催眠療法を教えることについて

 催眠療法を教えるという機会があり、どのように教えることが可能なのかということをずっと考えていた。楽しんでもらえて、その人の日常生活にも活かしてもらえて、かっこいいものだと思われるようなもの…。かっこいい催眠療法とはどういうものだろうと思ったときに、山本英夫の『ホムンクルス』、いとうせいこうの『解体屋外伝』、カスタネダの『ドン・ファンの教え』が思い浮かんだ。どの中でもかっこよく催眠療法が使われている。

 特に『ホムンクルス』は山本英夫さんが実際に催眠療法を学んで描いた漫画だ。リアリティがある。主人公が片目を閉じて見える世界はまさに催眠療法をする人間がトランス状態に入ったときに見える人間の姿である。ありきたりな催眠誘導をしなくとも、その人の動作から、どのような日常生活の中での感覚、トラウマがあるのかがある程度想像することが出来る。もちろんそれは、霊能者が過去を当てるというようなものではなく、この漫画の中にもあるように、自分自身の何かが相手に反射して描き出された姿である可能性もある。

 催眠療法をやっている人にも色々な人がいる。僕の場合は、他人の動作や声、接触の感覚から他人の中に流れる感覚を読み取ろうとするタイプだ。他のものから読み取る人もいるだろう。だから、僕の場合は自分の動作の質を変化させる方法や、声の出し方、接触の仕方を人に教えることが多い。講座に参加したことがある人なら、動作の質の変化をさせる方法を僕から伝えられたことがあると思う。
 自分自身の行動や感覚を意識的に変化させることが出来るようになると、他人のそれらの変化を読み取ることが出来るようになる。分かり易いもので言えば、自分の目の状態を、目の周りの筋肉、目の部分の意識される部分が感情の動きや意識を内に向けるか、外に向けるかによってどのように変化するかということが分かると、他人の目の状態を読み取ることが出来るようになる。もちろん、体感覚に繊細に意識を向けなければいけないから、そのときにはトランス状態になる必要がある。

 そうした身体の動きから他人の情報を読み取ることが、他人の心の中にあるイメージに侵入していくためのきっかけになる。目の前にある身体の一部分の緊張や身体の不自然な動き、不自然な声のトーンにはどのような感情が、そしてどのような感覚、イメージが宿っているのか。そういうものを見る。

 そういうものを捉えられるようになるためには、とにかく自分の心身を開発していく必要があると僕は考えている。自分の身体の動きと感情の繋がりを丁寧に追っていくことや、身体を自由に動かせるようになること、意識出来ていなかった身体の部分や動きを意識出来るようになること…これらの作業は終わることがないだろう。細かく感じられるようになればなるほど、まだまだ先があるということが分かる。

 催眠療法を学ぶ中で、日常のコミュニケーション、自分の心身の使い方、他人の観察の仕方について色々と考え直すきっかけを持ってもらったり、新しい観点を見出したりしてもらえたら嬉しい。

美しさを感じるまで待つ

 最近、ずっと絵を描いている。出来る限り、一日に一つ。絵自体が目的というよりも、絵を描くと深いトランス状態に入るので、その後の仕事や生活が落ち着いて良いものになるからやっている。

 描き始めることが難しい。当然僕は絵が上手いわけでもないし、描き慣れてもいない。何を描くかということも、描くと決めた対象のどこから、そしてどのように描いていくかということも、いつまで経っても慣れることはない。自然とそういった始め方が自分の仕事の仕方にも繋がるというか、連想される部分もある。

 始めるときは、その描く対象の美しいと思う部分を探すように心がけるようにしている。コップを見ていても、そのときどきに美しいと思う部分は違う。コップの縁の影が出来ている部分だったり、水の中の歪んだ影だったり、浮かんでいる氷だったりする。理由は分からないが、色の濃淡、曲線、周りとの関係性などをなんとなく良いと思うのだろう。

 美しいと思うと、自然と描きたくなる。その気持ちをもってそのまま始めると、すっと自分の心身が描くために動き出すような感じがする。

 クライアントを前にしたときも、はじめからは美しさが見えない。その人の声、姿、動き、話す内容…そういうものを受け取りながら美しいと感じるときを待っている。自分にとって、それが相手の感覚に入り込むための糸口になる。美しいと感じると、なぜか色々なものが目に入り始めるし、自分の感覚が敏感にもなる。美しいと感じているときは肯定的な気持ちで捉えることが出来る。否定的になってしまったら、立ち止まって、またじっくりと観察をして、感じてみる。単純だけど、描くときも、話を聞くときも、草書体などで触れるときもそんな感覚を持っている。

人の動作とカウンセリング

 座る、立つ、歩くと、身体が動く。

 何を見る、それを手に取ろうとする、手に取る。

 見る。目の前にある情景を目に映す。その中で気になるものに焦点を合わせるために眼筋を動かす。

 人に会う。話そうとするために何を話そうかと考える。そのとき動作が生まれる。目が上下に動いたり、身体を触ったり…色々な動作をする。そのとき色々な感情が動く。そして、口を開いて声を出すまでにも、様々な細かい動きが起こっている。

 目の使い方を少し変えただけで、動くこととともに感じ方ががらりと変わる。焦点をぎゅっと合わせて、恐怖心、警戒心とともに相手の目を見たとき、もう目の周り以外は見えていない。使い方を変えて、相手全体を捉えようとすると、目の周りの緊張はとれる。そして、恐怖心、警戒心も薄まり、相手に対して別の感情を感じ始めたりもする。そのきっかけになるのは、ちょっと目の使い方を変えるだけだったりする。そのちょっとが、どれだけ自分の動作や感情、そして相手に与える印象まで、変化を及ぼすのかを知ると、ちょっとしたことを重要視することが出来るようになる。

 ちょっとしたことだけど、それらは様々な心身を扱う分野において、ぽろっと達人が口にすることだったりする。その一言に宝物を見る人もいれば、当たり前のことを言っていると聞き流す人もいる。誰だって全てをキャッチすることは難しいだろう。そのメッセージに込められている豊かさを感じることはとても難しい。頑張って出来ることではない。ただ日々の中で繊細さを育んだ分だけ感じられるものだと思う。

 ちょっとした動作の中に込められた意味を読み取ることが、カウンセラーとしての能力なのかなと思い始めてから、色々な身体を動かすようなことや、その他のことに取り組んでみた。もちろんそれらはすぐに分かるようなものでもないし、死ぬまで続けられるようなものだから、取り組んでみると、益々取り組み始めてしまう。幸い、それらはお金がかかるようなことではない。教えてもらった後は、毎日やり続けてみると発見がある。そして、たまに教えてもらいに行く。

 人の生き方がより心地良いものに変わるのに必要なのは、ちょっとした動作の改善なのではないかと思う。一生懸命変えるというよりも、「へぇ」とふと思って変えた動作が知らぬ間に様々なことに影響を与える。それは例えば、ただものを見るときの目の使い方だったり、歩き方だったり、触り方だったりする。無理をせずに、自然と動くことを、ちょっとした一つの動作の中であってもいいから知ってもらいたい。そうすると自然と行動の変化が生まれてくる。

 最近、一体カウンセリングで何が出来るのかと考えながら、こういうことをずっと思っていた。そして、それは無理矢理な、何かを強いるような介入ではなく、「へぇ」と思う程度のものであるはずだ。

 そういう関わりをカウンセリングとして作り上げていくためには、知識や技術の習得、鍛錬を通じて、自分がそのような変化を体験し続けるということが近道になるのだろうと思う。