月別アーカイブ: 2013年3月

田中誠司さんの舞踏のワークショップに行って

僕は踊るのが苦手だ。芝居をするのも苦手。小学一年生のときだった。演劇の発表会があった。それなりの役をもらって、発表のときまで一生懸命に練習した挙げ句、当日に突然行かないと言い出した。母親はびっくりして、なんとか行かせようとしたが、頑に行かないと言い張った。その日はどのように過ごしたのかは全く覚えていないが、それから人前で何かを発表することはしないようにしてきたし、カメラで撮られることも出来るだけ避けて生きてきた。

皆で楽しく騒ぐのも苦手だ。クラブナンパをするときはいつも、自分は日本で一番テクニックのあるナンパ師になるのだと言い聞かせた。そうすると視点がぐっと上にあがって、周りの人たちと交わらなくなる。皆と一緒に楽しみに来たわけじゃない。自分の目的を達成するためだけに来たのだと言い聞かせていた。

他人に、場に身を任せるということは難しい。一方で、任せることはとても心地良いことも知っている。好きな人、尊敬する人に、ぽんと自分の身体を捧げる。それはとてつもない快楽であることも知っている。それをするだけで自分が変わってしまうことを知っている。だけど、そうそうそんな機会なんてないとも思っていた。そして、僕は幸運にも、そうした機会に何度も恵まれてもいた。

舞踏のワークショップに行ってきた。二時間ほど前に会場の近くについて、心の準備をしていた。この機会は、自分を大きく変えることになるということは、なんとなく分かっていた。二時間、悩んだ。お腹が痛くなったので、途中で帰ろうかとも思った。モスバーガーでカスタネダの『イクストランへの旅』を読んでいた。

“『わたしがやり方を知っていることをしない』というのが、力への鍵なのだ”

そう書いてあった。僕は踊ることを知らないし、人前で自分の何かを表現する方法を知らない。今まで何度か、大勢の前で話をしたことはある。そのときはただ話したくて話した。「あなたを表現して下さい」と言われたわけではない。自分がどんなことを考えて、どんな行動をとって、そしてどんなことを今は考えているのか、それを人に言って、その反応がどんなものなのかを知りたかっただけだった。ただ、そのときも、いつも、知らない場所に飛び込んでいく恐怖があった。

会場に着くと、今回のワークショップの主催者である田中庸平さんがいた。彼の「食と呼吸と音」というワークショップに行ったこともあるし、彼が僕の「ラポールと身体知」に来て下さったこともある。顔を見て、少しほっとした。そして、舞踏家の田中誠司さんがいた。端正な、表情のない、温かい感じのする方だった。気持ちの良い開かれた挨拶をして頂いた。僕も挨拶をした。だけど、そこには何か陰りがあった。いつも、自分の挨拶には陰りを感じてはいなかった。だけど、そのときにははっきりと、今までもその陰りがあったのだということを感じ取った。

ワークショップの会場はしっかりとした木の床で、踏みつけてもその木の分厚さが足の裏に跳ね返ってくるような感じがした。その端に僕は正座した。隣の女性が挨拶をしてくれた。僕は軽く会釈をした。無愛想だったかもしれないが、談笑する余裕はなかった。

ワークショップが始まった。参加者の中には頭を丸めた、明らかにダンサーらしい方も混じっている。他の方もダンスの経験者であるようなことを言っている。僕の緊張はさらに高まってしまった。

はじめに立ち方を教えて頂いた。それから誠司さんが一人一人の真正面に立っていくと言う。そして、鏡を見るように、前に立った誠司さんを見るようにと言われた。同調だ。自分がいつもやっていることだと思った。いつも、そうしろと言われていないのに、人の前に立って、その人の情報を身体で吸い取ろうとしている。

誠司さんが僕の隣の人の前に立つ。唾を飲み込む、まばたきをする…意識が散り散りになろうとしているのを感じる。僕の前に立つ。誠司さんの目は完全にトランスに入っていた。僕はその目を見つめる。自分の目の力も抜いて、トランスに入る。唾を飲み込むたび、瞬きをするたび、意識がまた散り散りになる…それを僕は必死でつなぎ止めようとする。負けたくなかった。自分の周りにある世界に対して、意識を集中すること。そのことについて、僕は他人に負けたくない。普段からいつもじっと周りの空気を感じている。その中にいる自分のことを捉える。自分の身体の感覚、内面の動きを捉える。そうして、今までも、色々なことをしてきた。だけど、実際のところ、僕は他人が怖かったし、その恐怖心をなくすことは出来なかった。目の前に人が現れるとき、いつも自分の、穏やかに周りを感じていた意識が、ギュッと一つに、自分の胸の辺りに集まるのを感じては、それを元通りにしていた。僕はいつでも怖かったのだ。意識が誠司さんからぶれて、会場の風景の方へと逃げようとする…。

目の前のこの人はどうなのだろうか。誠司さんは恐れていないように見える。いや、違う。この存在している感じは、繊細な感受性のなせる業なのだ。それは彼のブログにも書かれてあった。彼と僕とが違うのは、その繊細さ、弱さ、恐れ、自分自身に対する信頼だ。僕はその自分の弱さを武器にした。環境が整えば、自分のそうした弱さが武器になること、人を惹きつけることを知った。それは自らの弱さを、身体の外に置くことだった。彼のやり方はそうではなかった。その繊細さは彼自身の中にあり、活き活きと脈打っているように思われた。

代々木忠監督にお会いした瞬間のことを思い出した。監督と対面したとき、身体に頭から足の方まで、ズドンと衝撃が一直線に瞬間的に走ったのを感じた。僕は催眠術を学んで、実践してきた。監督の誘導を映像で見たり、音源で聞いたりもして、参考にさせて頂いていた。そのときは、なるほどと思いながら、その誘導から、使える部分を抽出したりしていた。それは間違っていた。催眠誘導の達人だったエリクソンから、他の分野の身体技法から、色々な人たちの日常的な所作から、必要なものを抽出し続けた。ある人からは僕はサイボーグだと言われたこともあった。色々な技術を盗んでは身につけてきて、自分の弱さを技術で補おうとしているように見えたのだろう。その対面のとき、僕の技術は僕の身体の外側にあったのだということを、その一筋の衝撃は一瞬の間に理解させた。僕の身体の周りにあって、僕自身はそれが僕そのものだと信じ込んでいたものが、僕の身体から離れて、散り散りになって、その場に落ちていった。僕はその技術で身を守っていなければ、出会った人たちのことをもっと深く感じることが出来たはずなのだ。

僕がこれまで技術だと思っていたものは、小手先のものだった。もっと自分に集中しろと自分自身に言い聞かせた。僕は色々な人にそう言い続けていた。自分自身に集中しなければ、新しいものを身につけることは出来ない。だけど、自分自身にここまで言い聞かせたことはなかったように思う。他人に言い続けたことが、一気にその一瞬に集約されて、僕自身に返ってきた。有り難い瞬間だった。

そうすると、無理に集中しようとしていた意識が消えて、緊張も抜けた。今ここに自分がいて、そのことを感じるということ。それ以外には何もない。誠司さんと向き合って、目を合わせて、僕はそのことを身体を通じて、伝えてもらった。

その後も、たくさんのワークをして頂いた。

帰り道、自分が今までに感じたことのない開かれ方をしているのを感じた。
自分を開けば、どんなものでも特別な、自分を感じられる機会になるのだ。

 

舞踏家 田中誠司 公式webサイト

田中庸平さん
ワークショップ「食と呼吸」/想像的民族料理店 imaginary cafe

アグレアブル・ミュゼ
落ち着く空間で、ご飯が凄く美味しいです。

気功とピラティス/身体の変化と感覚の変化について

 首の後ろがいつも熱く、ピンと張っていて、目の奥にはぐっと力が入っていて、そして、背骨の辺りは硬直する。僕が催眠をかけるとき、他人の状態を読み取ろうとするとき、日常の会話の中で働きかけをするとき、ナンパをするとき、そのようになっていた。

 人に働きかけるというのは何だろうか。自分の身体を硬直させることだろうか。ある意味でそうだろう。僕は相手の中に入り込むために、弾丸、刃のように自分の身体の形を変えていた。形を変えた分だけ、その後には疲労が残った。目の下にはクマが出来て、首の後ろ、背骨の周りは固くなって、何も感じ取れなくなって、自分が何を思っているのかも分からなくなる。解離状態だ。パニック障害であったときは、不要な心配事のためにエネルギーを使い尽くして、こんな状態になっていたように思う。それを自分にとって必要なことにエネルギーを集中させることが出来るようになった。だから、こうした精神的な疲労感は、自分が何かに意識を集中させたことの証拠なのだ。そうやって、自分を使い尽くしてしまった日には、家に帰って寝るだけだ。寝て、次の日には回復しているときもあるし、起きてから半日、或いは一日、さらに眠らなければいけないときもある。

 エネルギーというと怪しい。これは集中力と言うべきだろうか。一度、自分の頭の中を真っ白にして、それから集中すべき対象に意識を向けて、思いを馳せる。そうすると、様々なイメージが思い浮かんでくる。そのイメージに自分の身体が反応するのが分かる。熱くなったり、気持ちが前向きになったりする。そうなると、イメージはアイデアに変わってくる。こうなったらもう、それからやることは大抵上手くいく。こうなって、失敗したと感じたことはない。失敗はいつも、この事前のコンディション作りが上手くいかなかったときに起こる。

 気功はこのコンディション作りのコツを教えてくれた。自分の身体により繊細に意識を向けること。はじめに書いたような、身体的な変化は無意識に起こっていた。それが気功をすることによって、意識的に起こすことが出来、さらにそれを促進させることが出来るようになっていった。その代わり、促進させてしまったときは、今まで感じたことがないような疲れがあった。身体は元気なのに、空虚な感覚に浸されて、身体を少し動かすことさえ辛いと感じるし、目の前に見えている人間の動きから、何も連想出来なくなってしまう。自分がうつ病だったときのことを思い出した。理由のない絶望が自分から離れない。その理由を考えたところでどうにかなるわけでもない。放っておくしかないのだ。そういうときはスワイショウをすればいいと聞いていたので、スワイショウをし続けた。身体にまとわりついている空虚な感覚が、しばらく腕を振っていると、少しずつなくなっていった。セラピストは早死にしてしまうことが多いと気功を教えてもらった江坂さんから聞いていた。江坂さんは、エネルギーを使い果たし続けている僕のことを心配して、気功を教えてくれたのだ。江坂さんの言う通り、気功は自分にとって、心身の状態を整え、能力をさらに引き出すために必要不可欠なものになった。

 気功を続けて、それまでよりも調子良くカウンセリングや講座を続けているときにピラティストレーナーの葉坂さんに出会った。彼のレッスンを受けに行ったとき、葉坂さんは僕の下半身に可能性があると言った。トレーナーとして気を遣って言って下さったのだ。つまり、僕の下半身には可能性があるというか、直すべきところがたくさんあるということだ。僕は既に気功を通じて、身体の変化が自分の精神状態の変化や心理療法における能力を伸ばすことに大きな影響があるということを知っていたから、葉坂さんのピラティスのレッスンを受けることは自分に大きな変化をもたらすと確信していた。すぐにプライベートレッスンを申し込んだ。

 足の辺りの筋肉の緊張をとったり、骨盤を良い位置に戻すことなどをして頂いて、いくつかの自分の身体を整えるための器具を頂いた。僕はそうして教えて頂いたことを毎日繰り返した。効果はすぐにあらわれた。皆、歩いているときに立っているという感覚は持っているだろうか。僕は持っていなかったのだということに気づかされた。ある日、足の裏から地面が反発してくることを感じた。手で壁を押したときのように、足の裏で地面の反発を感じていたのだ。地面の反発が、足裏から身体全体に、下から上へとすっと流れてくる。自分の骨盤が立っていて、こうして立つということがこんなにも快いものなのだということを感じた。

 人に働きかけるというのは何だろうか。僕は自分のエネルギーを身体全体で増幅させて、それをぶつけることだと思い込んでいた。その日から、そうではないのだということを感じた。それまでは催眠を使うときには僕は前傾姿勢になっていた。それが骨盤を立てて、背筋がピンとなった状態でかけている自分に気がついた。僕のエネルギーは増幅させてぶつけるものではなくなっていた。自分の身体の中に、周りの人たちの感覚が入り込んできて、それが身体の中でグルグルと回り続けて、誘導するためのイメージとして熟成されていくようになった。これが催眠の誘導だったのだ…と自分の中では衝撃的な出来事だった。それまではカウンセリング、ナンパ講習、講座をした後には心身ともにぐったりと疲れ切っていたのが、前よりも疲れなくなった。僕は無駄にエネルギーを使っていた。エネルギーを増幅させて投げつけては疲れ、眠って回復し、また投げつけて…を繰り返していたのだ。

 僕にとってナンパとは何だろうか。それは日常の中で使い切れなかったエネルギーの投げ捨てる場所だろうか。様々な場所で、相手を見ずに話している人たちを見る。僕もそうなっているときがあるだろう。使い切れなかったエネルギーをそのようなナンパで消費しているのだなと思う。中に溜め込んでしまえば、それはそれで具合が悪くなってしまうから、悪いことではないだろう。だけど、自分の身体を整えて、周りのことを感じられるようにすること、そして、それを自分の身体の中で熟成させて、然るべきアウトプットをすること、そういうことをするように意識をし始めてから、他人と無理矢理に話したり、セックスをしたりして、無意味なことをしたというような虚無感に襲われることが少なくなったように思う。歪な身体が整うと、他人と向き合うことが出来るようになるのかもしれない。

 江坂さんに気功を教えてもらって、葉坂さんにピラティスを教えてもらって、僕は二人に自分の心身を救ってもらった。変化は、新しいこと、信用出来る人のアドバイス、そして必要だと思ったことを納得がいくまで続けることによって起こるのだと思う。

他人を糧にすること

ターザン山本さんにお会いした。そこは立石の落ち着いた居酒屋だった。他には二人組のサラリーマンがカウンターに座って、仕事の愚痴を言い合っている。また別のテーブル席には仕事帰りの四人組のサラリーマンが座っていた。柔らかい雰囲気の店主と奥さんがお店を切り盛りしていて、店内にはテレビから聞こえる野球の中継の音が聞こえていた。それを聞いて、僕は甲子園の祖母の家のことを思い出していた。祖母の家は甲子園球場のすぐ近くにあって、夜ご飯を食べていると甲子園球場の声援が聞こえてくる。

ターザンさんからは優しいけれども、射抜くような視線がときどきこちらに向けられる。穏やかで鋭い線が目が合った瞬間に、彼の目から僕の目を通ってすっと自分の中に入ってくるようだった。その線は僕の中に何があるのかということを探索していたのだろうか。

僕は友人のナンパ師、しんじ君に「高石さんは他人を糧にして生きている」と言われた。

 

その通りだ。僕は他人を糧にしている。立石に向かう電車の中で、ターザンさんを紹介してくれたシンジローさんに言った。「人間って凄いですね…一人の人に会いに行く…それが大好きな映画監督の何年かぶりの新作を映画館に観に行くような気持ちに僕はなっています。」それが糧にするということだ。どんな動き、どんな話し方、どんな佇まいであるか、そして、その人と対面したときに僕自身はどうなっていくのか…それをいつも楽しみにしながら人に会う。ただ、そうそうこんなテンションになることなんてない。

宮台さんと打ち合わせをさせてもらうときもそうだ。僕は凄いテンションになっている。いつもは十二時くらいに起きるのに、その日は八時に目が覚める。目覚めてからは落ち着かず、気功をしたり、ジョギングをしたりして、身体を動かす。身体を落ち着かせなければいけない。そうして、自分の身体の中に宮台さんを完全にそのまま入れてしまえるような状態にならなければ、この貴重な機会を自分の人生に活かすことは出来ないのだ。

ターザンさんとお会いすることが決まった昨日もそうだった。永田町から電車で立石まで行く途中、押上で乗り換える。乗り換えの電車を待つ間、僕は呼吸をしながら、上半身をほぐすために身体を動かしていた。身体の中に自分がある。その自分は捨てなければいけない。自分を出来るだけ捨てて、あとは何も準備をしない。そうすることできちんと話をすることが出来る。そう、思う存分僕にその目から発せられる線を入れてくれ!という感じだ。 僕は他人を糧にしながら、自らの中に様々な他人を引き受けていく。そうして、それは吸収されれば、その残りは捨てられる。捨てなければ、僕はその人たちに洗脳をされたままになっていることだろう。

ターザンさんの目から発せられた線が自分の身体に何度も入り込んできた。でも、それだけではない。そのとき、僕の目からもターザンさんの目に向かって線が発せられているのだ。次第に話が盛り上がってくると、その二つの線は複雑に交錯し合う。互いの身体に入り込んで、何かを伝え合って、盗み合っているのだろうか。僕は確実にたくさんのものを頂いた。それまで僕の目を見ていたターザンさんが、なぜか僕の胸の辺りをじっと見ていた。この人が胸の辺りを見るとき、また別の特別なやり方で何かを見ているのだろうかと思った。「ごめん、飛ばしちゃった。」とそれまで食べていたレバカツを、興奮のせいなのか、話しながら僕のTシャツの胸の辺りに飛ばしたのを気にされていたのだった。僕も時折飛んでくることは分かっていたけれども、それよりもターザンさんから発せられるイメージの洪水の方がリアリティがあるように感じられていたから気になっていなかった。

たくさんのお話をしてもらった。

僕はまた昨日のことを消化して、捨てて、自分の生活を過ごして、再びお会いする機会に恵まれるかもしれない。そのときはまた空っぽになってお会いして…その出会いを繰り返せるだけの人間であるように、日々手に入れたものを捨てて、日常の中で感じられるものにより細かく目を向け続けたいと思った。

 

 

ターザン山本さんの「煩悩菩薩日記」“ナンパ学”