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僕はナンパが上手いわけではない


映画『マグノリア』のトム・クルーズ扮するナンパの教祖、『THE GAME』のカリスマナンパ師のミステリー、フェリーニの映画『カサノバ』の中のカサノバ。彼らには役割が課される。異性を落とすのが上手いこと。だけど、彼らは失敗したり、落ちぶれたりしていく。それが物語の良い場面だったりする。だけど、自分の人生は他人の物語とは違う。人間関係であったり、ビジネスであったり、当人は取り組んでいることを最良のものとしたいと思っている。だけど多くの人は、一度得たものを手放さずに自分を守ろうとする。物語の中で訪れるような悲劇は、自分を守り始めたとき、なかなか他人には見えないところで静かに起こるものだと思う。

皆、ナンパの講習をしているような人は自分のナンパの成果を書いたり、自分のナンパが上手いと思われるようなことを書いたりしている。一年ほど前の自分もそうだったと思う。今は僕はナンパが上手くはないと思うし、誰かに聞かれても上手くはないと答えるようになった。それは執着だった。一人の人間の価値観は変わっていく。女性とセックスをすること、異性に求められることが大切だと思う時期もあれば、また違うことを大切だと思う時期もある。そのときどきの価値観によって、その人が能力を発揮する部分が変わっていく。また、その価値観に合っていないことを達成しようと望めば、当人は苦しくなる。今は恐らく僕は、カウンセリングに執着している。カウンセリングが自分より上手い人間はそういないと思うし、もしいたらどうにかして乗り越えたいと思う。ナンパに執着していたときは、どうにかして自分を満たしてくれる他人を探そうとしていた。今はどうにかして、自分で自分の内面を深く見つめたり、柔軟に変化させていくことをより出来るようになりたいと思っている。

ナンパを教えていて、いくらやり方を教えたとしても、その人の魅力が引き出されることはないと思っている。なんとなくナンパが上手くなりたいと思って講習に来た人は魅力がない。もし僕が女の子だったら、この人と一緒に時間を過ごしたいとは思わない。そりゃ誰だって、街で声をかけて簡単にセックス出来るのなら、ナンパが出来るに越したことはないと思うだろう。それが誰にでも身につけられるやり方によって成立するのなら、街はもっとセックスに溢れているに違いない。有名なナンパ塾に行ったことのある人が僕の講習を受けることが多くなってきた。彼らは成果をあげていない。ナンパ塾ではノウハウを教える。それもそんなに難しいものではない。だけれども、ノウハウは人を魅力的にはしないから、いくら声をかけたって女の子は話を聞いてくれない。魅力を引き出すのは、自分自身の欲求に向かい合う誠実さだ。

欲求に向かい合ったとき、その人の話し方が変わる。表情からは他人への恐怖感から来る緊張が消えて、声は深みのある柔らかいものになる。今の自分を手放さないまま、効果的なやり方を身につけようとしていた弱さが消えて、自分の欲求に沿った目的に達するために、自分の身体と精神を自由に変えられる道具として使おうとし始める。このときに初めて僕はその人に身体操作や言葉による他者のコントロールの方法をその人が身につけられるように伝えることが出来る。

今、僕はナンパという人の欲と虚栄心が絡む現象の中に身を投じている。最近もずっとナンパの講習をしていた。正直なところ、自分はナンパをすることに関心がないのに、こんなことを人に教えて良いのかなと思った。だけど、この声をかけることを教える中には、たくさんのカウンセリングの要素があり、ときに座ってやるカウンセリングよりも凄く早い展開でクライアントとやりとりが出来て面白い。今は自分のその技術を磨くことだけを考えようかなと思う。