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穏やかな無関心/ドトール 神南一丁目店

僕はいつもここでカウンセリングをしている。普通のカウンセリング、ナンパ講習の前後のカウンセリング、催眠術を教えているときもある。奥には大きな噴水が中央にあるテーブルがあって、その周りを椅子が囲っている。この噴水の周りの人々は常連であることが多い。僕もそう思われているかもしれないが、大体同じ人たちが座っている。皆、それぞれに顔を覚えているはずだ。だけど、言葉を交わすことはない。

勉強をしている大学生たち、ブツブツ何かを言いながらスポーツ新聞を読んでいるおじさん、真面目そうにいつも本を読んでいるおばさん、近所のアパレルで働いている休憩中の女の子、アイスコーヒーに十個くらいのコーヒーフレッシュを入れソファ席に体育座りをしている女性。夜に現れる怪しい中年のカップル。男性が女性の服の下にカメラを入れて撮影する。

彼らはお互いに干渉し合わない。互いの日常の中に互いが存在していることは知っている。だけど、重なり合うことはないだろう。不躾に話しかけるなんてことはしない。穏やかな無関心。それがこのドトールの良いところだ。
ドトールの店員は客に対する関心を示さない。関心を示さないというと否定的に聞こえるかもしれないから、穏やかな無関心があると言った方がいいかもしれない。他のドトールではその無関心が刺々しさになることもある。マニュアルに沿って接客する。それが開き直りになり、労働環境、そして自身の人生への不満によって、マニュアルに沿ってさえいれば客に何をしてもいいというようなことになりかねない。
僕の家の近所の店舗では、店員たちがほぼ奇声に近いような「いらっしゃいませ!」「ミラノサンドをお待ちのお客様!」などと言った文句が飛び交っている。一度、足どりが不自由なおばあさんがミラノサンドを頼み、席で待っているところに、いつもの「ミラノサンドをお待ちのお客様!」が始まった。老婆は足が悪いためになかなか立ち上がることが出来ない。そして、彼女がカウンターにミラノサンドをとりにいくまでに、何度この「ミラノサンドをお待ちのお客様!」が叫ばれたことか。ここはドストエフスキーの世界かと思った。
神南一丁目店ではそういうことはあり得ない。店員たちは無関心を示しながらも、優しさを示している。少しでもサービスに気を張ったりされてしまうと、客である僕も気を遣ってしまい、200円のホットティーで三時間も居座るということが出来なくなってしまう。決して「今日は寒いですね。」などと話しかけられたくはない。そんなちょっとした一言だけで壊れてしまう繊細な関係がこのドトールでは築かれている。

スカウトマンの時からこのドトールによく来ていた。初めて来た時からもう三年ほど経つかもしれない。
渋谷では、このドトールか名曲喫茶ライオンに行く。ライオンは一人の世界に没入したいときに行く。このドトールでは、色々な人が生活をしていて、自分はその中の一人なのだということを知ることができる。
女の子に声をかけ続けて成果が出なかったとき、自己嫌悪に陥ることがある。そういうときにこの場所に来ると、噴水の周りにはいつもと同じ人たちがいて、なんだかほっとする。反対に、成果を出したときは喜びで傲慢になってしまうこともある。そういうときに来ると、自分はただの一人の人間でしかなかったのだということを自覚させてくれる。いつもと変わらぬ人たちが少し落ち込んでいる様子だったりするのを見ると、落ち込みながらもこの人は今日もここに来ているんだなと、ぼんやりと思ったりする。

噴水の水は中心の空洞から水がのぼっていき、上から溢れて、螺旋状になった段差を流れていく。その端から不規則に水が落ちていく。耳を澄ませば、周囲の話し声や流れている音楽の奥の方にこの水の音が聞こえる。中心の空洞をのぼっていく水泡を見つめながら、その水の音を聞く。そうすると、この汚れない、いつでもニュートラルな噴水が持っている霊性のようなものが身体の中を流れていくのを感じる。外に出れば、様々な人たちが欲望を丸出しにして歩いている。その欲望の流れが身体全体に行き渡ってしまったら、自分がダメになってしまう。身体がそうした欲望に巻き込まれて、疲れてしまったら、この噴水が浄化してくれる。