月別アーカイブ: 2012年11月

催眠術について/催眠術が上手くなるための方法

僕は催眠術の講座をしている。そのお客さんたちにいつも最後に催眠術が上手くなるためにはどうすればいいかという質問を受ける。多分、それは講座に参加してくれた方たちだけではなく、ブログを読んでくれている人たちも関心のあることかもしれないと思って、いつも講座のときに伝えていることを書こうかなと思う。

僕の講座に参加してくれる人たちの中でも、ショー催眠やエロ催眠を既に別のところで学んだ人たちは催眠術にかかり難い。それはそうだろう。ショー催眠では催眠術にかかった人たちは操り人形のようになる。エロ催眠にいたっては、女の子が催眠術師にいいように操られて、快楽を与えられる。人間は勝手なものだなと思う。自分は人を操る術を学ぼうとしているのに、自分は操られたくないということである。勝手だけど、誰だってそう思うだろうと思う。でも、そういった形で催眠術を教えている人たちについて、面倒なことすんなよといつも思っている。彼らは催眠術という狭い世界の中で自分の権威を振りかざしたいがために催眠術にかかる人たちを人形のように扱っている。それによって、催眠術に関するイメージが悪いものになっている。この現象は古くから続いている現象である。催眠術ショーが世間に対して、催眠に関する誤った認識を植え付けてしまう。
ただ、こんなことを書きつつも、僕も催眠術をショー催眠から学んだ人間だ。自分のカウンセラーの先生はもともとテレビに出ている催眠術師だったし、催眠術自体は日本で有数のショー催眠の先生から教えて頂いた。こうした技術をきちんと出来ることは他人の心を扱う仕事をする上で非常に重要だと思う。ショー催眠が出来ることは最低限必要なことだと思う。ただ、一部の人間がショー催眠を権威的に他人に教えることで、催眠術の印象を悪くしているのは否めない。僕に教えて下さった先生たちはそういう方ではなかったので安心して僕も習得することが出来た。

催眠術は操る術ではない。催眠術で人を操ることは出来ない。操れたと思ったとしても、それは操る役割を相手に自分が課されているに過ぎないということは、催眠術を習得すればするほど実感すると思う。催眠術を習得しながら、まだ人が操れると思っているのならば、まだ催眠術をきちんと理解していないと思ってもらいたい。

催眠術をかけることよりも、かかることの方が余程難しい。催眠術にかかるとは、相手に対して自分の気を許すということだ。気を許してくれる相手に催眠術師は催眠術をかけているに過ぎない。そして、かかることが出来るようになればなるほど、催眠術がそうした、かかってくれる人がいることによって成り立っていることを理解して、かけることが上手くなっていく。また、かかるというのは相手に対して同調する能力があるということでもある。優れた催眠術師ほど同調する能力がある。相手に同調する精度が高いほど、幅広い人たちをトランス状態に誘導することが出来る。

今、日本で催眠術を学ぼうとすると非常に高額な講習費を支払わなければいけない。僕はそれを別に悪いとは思わないけど、催眠術ってコンプレックスビジネスなんだなと思う。でも、そうしてビジネスとして成り立っているのは事実だし、コンプレックスビジネスは他に趣味もなく鬱々としている人が救いとしてすがりつくわけだから、自分の人生を変えるためと思って貯金したお金を使ってしまうのかもしれない。これはナンパビジネスでも同じことだけど。確かに、人を操れる術を手に入れられたら、どれだけ人生が変わることかと思う。でも、はっきり言っておきたい。僕は催眠術をある程度身につけたけど、別に人を操ることは出来ない。端的に言えば、好きになった女の子にふられることは普通にある。操れればそんなことにならなかったはずだし、人を操れれば、わざわざこんな仕事をしていないかもしれない。

じゃあ催眠術で何を教えているのかという話になる。それは、自分自身がトランス状態に入って、他人をより深く観察して感じる技術だろう。僕はそのために催眠術の仕組みを伝えて、自分自身が催眠術にかかること、他人と同調出来る状態に自分を変化させることを習得してもらおうとしている。

その技術を伝えさせてもらったあとにいつも、もっとその能力を伸ばすためにはどうすればいいのかという質問を受ける。そのために必要なのは、僕の意見としていくつかある。

一つはもっと自分の身体感覚に鋭敏になること。自分の身体感覚に鋭敏になればなるほど同調することが上手くなる。そのためには気功をしたり、武術を習ったりすることが近道だと思う。ヨガもいいかもしれない。自分の身体の感覚に意識を向けながらジョギングをするのもいいと思う。

何度かシステマのワークショップに参加させてもらって、とても参考になった。
以下の本は呼吸法について詳しく書いてあってオススメ。

もう一つは、より深くトランス状態に入れるようになること。これは瞑想がいいと思う。特に以前ブログで紹介させてもらったヴィパッサナー瞑想の本は参考になると思う。
自分を手放して、コミュニケーションの質を変える方法/『実践ヴィパッサナー瞑想 呼吸による癒し』

それから、催眠術をたくさんかけてみること。色々な人にかければかけるほど、人間の催眠術にかかるパターン、かからないパターンを理解することが出来る。

最後に、日常の中で催眠術の現象が起こっていることを探すこと。また自分の動き、他人の動きを観察して、同調の現象が起こっていること、起こっていないことを探すこと。そうすることで観察眼がより鋭くなる。

いつも催眠術に関して頂く質問や、催眠術に関して聞かれたときにお伝えしていることを書いてみました。個人的な見解なのでこれが催眠術の全てと言うわけではありませんが、参考にして頂ければと思います。

想像力を使って他人の話を聞くこと/『山上敏子の行動療法講義』

人からカウンセリングのやり方を教えて欲しいと言われることが多くなってきた。僕は大学で心理学を勉強したわけではない。カウンセラーの先生のもとで、お茶汲み、雑用をしたりしながら、先生の振る舞いを見ながら覚えた。ときどきアドバイスをもらえるけど、それこそ神託レベルの有り難さで滅多にしてもらえなかった。今だったら、それがどうしてかは分かる。その人が受け取れるときでなければ、何を言っても無駄なのだ。

その後はスカウトやナンパをしながら、色々なカウンセリングのテクニックを試し続けた。結局、こういうものは実際にやってしか覚えられないものだ。いくら勉強しても、知っているのと使えるのとは全く違う。その反対に、いくら人と接する機会が多かったとしても、どういう部分に意識を向ければいいのかを知らなければ延々と同じことをしてしまって学ぶものが少なくなってしまう。

この『山上敏子の行動療法講義』は臨床と研究を重ねてきた行動療法の大家が行動療法とは何か、他人の話を聞くとは何かということを平易に語っている講義を文字におこしたものである。一般的に書かれたテクニック集というようなものではなく、カウンセリングの技術を磨き続けた人がテクニックと、そのテクニックを使う際の繊細な心構えについて語っている、とても参考になるものだった。読むのに想像力はいるけれども、事前の専門的な知識は必要とされていない、読み易い本である。

カウンセリングのテクニックというと、一般的によく言われるのが傾聴だと思う。
相手の話を聞く。聞いて、オウム返しにする。

「彼女と別れて、辛いんです。」
「そう…辛いのね。」

これは確かに有効だが、能力のある人がするのと、ない人がするのとでは同じ言葉を返しても全く違う。そこを隔てているものが他人に対する想像力だろう。その想像力とは何かということを、著者の山上敏子さんはこの本の中で様々な形で教えてくれている。

“よく「クライエントに共感する」と言うでしょう。それは、その通りです。でも、共感するにはわかることが必要です。ときどきこれが抜けていて共感がうたわれていることがあります。わからなかったら、共感なんてないですね。クライエントのことがよくわかって、そしてはじめて「それはつらいだろう。大変だろう」という気持ちになります。そういう気持ちがクライエントにも伝わるわけですね。わかるというところを抜きにして、「ああ、それは大変ですね」と不自然に言葉を使うと、クライエントの心はすーっと逃げてしまいますね。
治療で一番大切なことは、治療をする自分がまずわかろうとすることです。どのようになっているのか、クライエントの身になってわかろうとする。これは、難しいけれど訓練しなければならない大切なことです。そのために、「何をどう考えているのだろう、どのように感じているんだろう、周りの人はそれをどう思っているのだろう……」というように、素直にわかろうとすることです。…具体的にクライエントはそこで何をどのように体験しているのかと探しながら、面接を進めていくのです。体験されているところを素直にとっていると自然に、「それはしんどいことだ」のような感想が湧いてくるものです。”

行動療法は心理療法の一つである。
人の行動に対して焦点を当てる。動作はもちろん、思ったり、考えたりすることも行動として扱っている。そうして、人がどんなことを考えて、どんなことをしているのか、目の前にいる人の動きを細かく見る方法である。そうして見つけた行動の中の問題や変化させられるところを見つけて、その人の困っていることを解消するという手法である。
先の引用のように、「こうすればいい」というような短絡的なことは全く書かれておらず、「こういう部分に意識を向ければ、もっと人を見る能力が養われる」ということが書かれ続けている。より誠実に他人に向き合うためにはどうすればいいのかということを教えてくれる本だった。

前回紹介した『自傷行為の理解と援助』もそうだけど、こうした本にはその辺のコミュニケーションに関する自己啓発本よりも余程深い洞察のもとに観察されてきた人間のことが書かれている。その一方でこうした本が一般の人の手にとられることは少ないのはとても残念なことに思うので紹介してみました。この本も浅井さんに教えて頂きました。

自傷行為とナンパについて/『自傷行為の理解と援助』松本俊彦著

ナンパを教えていると、自分が思ったことを上手く言えない人が多い。彼らは他者を求めているというのに、他者に語りかける言葉を自分の中から探すことが出来ない。それでも声をかける。同じようなことを色々な人に言って、たまに引っかかった相手とセックスをする。そのセックスは悲惨なもので、射精し終わった後、或いは射精し終える前に既に後悔、罪悪感、一体自分は何をしているんだろうという感情に襲われる。または、もうそんなことすら思わないほどに、自分自身が何を思っているのかということに蓋をしてしまった人もいる。

だったらナンパやセックスをしなければいいと普通の人は思う。だけど、当人はしないと気が済まないのだ。しなければ、自分の心が落ち着かない。言葉に出来ない、自分でも何故あるのか分からない寂しさ、無力感がどんどん自分の中に募ってくる。だから、声をかけたり、連絡先を聞いた女の子、一度セックスをした女の子に連絡をしてしまう。

「ナンパは自傷行為だと思うんですけど、高石さんはどう思いますか?」と大学院で心理療法を研究されていた浅井さんから言われた。僕も以前から、ナンパは、少なくとも自分がしているナンパは自傷行為だということを、ナンパを続けるにつれて思うようになっていたから、そう思うと答えた。そのときに教えてもらった本がこの『自傷行為の理解と援助』である。

恐らく、この地味な本は心理療法などに携わる人間か、身近にリストカットをする人がいる人間にしか手を出されることはないだろうと思う。だけど、この本は自傷行為の理解以上に、一人の人間がいかにして自分の思うことを隠して、自分の本心から逃避をすることで、自分を知ることを誤魔化しているかということ、また、自分の本心を知ることがいかに困難であるかということを教えてくれる。

自分自身を知ること、或いは他人の気持ちを理解しようとすることにおいて、とても参考になる本だと思う。

リストカットなどの自傷行為は自らに傷をつけることで他人に構ってもらおうとする行動だと思われることが多い。確かにそういった側面もあるが、その理解は正しくない。自傷行為ははじめは一人で行われる。それは自分で自分のことが分からなくなった辛い瞬間を乗り越えるためにある。

本の中に、精神科医である著者がクライアントに「なぜ自分を傷つけるのか?」と聞いたシーンがある。そのときクライアントはこう答える。
“…彼女は憮然とした面持ちになり、挑戦的な視線で私をにらみながら、反対にこう聞き返してきました。
「どうして自分を傷つけちゃいけないんですか?」
「いや、そういうわけではなくて……」
私はしどろもどろになっていたと記憶しています。すると、彼女は私の干渉を断ち切るような強い口調でいいました。
「私は生きるために切っているんです。切ると気持ちが落ち着くんです。先生が処方する安定剤よりもずっと効果があります」”

自分の気持ちを落ち着かせるために切っている。それがエスカレートしていくにつれて、偶然他人に見つかってしまうことがある。そのとき、それを見た人の反応は綺麗に分かれるだろう。過剰に心配する人間と何がしたいのか意味が分からないと干渉しないようにする人間に。それが次第に彼らの武器になることはもちろんある。切れば相手を心配させられる。或いは構ってもらえる。そういった側面がないわけではない。だけど、はじめは、どうしていいか分からない自分自身を落ち着かせるために自傷をしている。またその後もそうだろう。構って欲しさからしているわけではない。

“第一に、自傷行為は「つらい瞬間を生き延びる」ために行われますが、繰り返されるたびに少しずつ死をたぐり寄せる可能性があるということ。第二に、ともすれば援助者は自傷行為をやめさせようと躍起になりますが、自傷する若者の第一の問題点は、自傷行為をすることではなく、「つらい感情」を誰にも打ち明けずに自分一人で解決しようとする生き方にあること。そして最後に、援助者自身の偏見や思い込みが自傷する若者の回復を妨げる場合があり、叱責や禁止の言葉を発する前に、まずは本人の言葉に耳を傾けてみる必要がある、ということです。”

僕はこの本を読みながら、ナンパについて考えていた。あまりピンと来ない人もいるかもしれないけど、興味が続けば読んでもらえればと思う。リストカットや大量に薬を飲むことなどを続けていれば健康を害してしまうし、そのまま死んでしまうこともある。或いは、そうした行動を続けるにつれて、次第に過激になっていき、自傷から自殺に変わってしまうケースもあると本の中には書いてある。そういったことについては勿論奨励すべきものではないけれども、精神的な自傷行為であるナンパについては僕は否定的には捉えていない。自分を精神的に傷つけることで、自分の心に蓋をすることも出来れば、自分を見つめることも出来る。本の中に書いてある自傷行為とは必ずしも同じものとは言えないまでも、自傷行為をする心理的なプロセスについてはナンパする人間の心理を理解するにあたって、非常に参考になると思う。

 

1 ナンパと自傷——ナンパするときの心理的な変化の理解のために

僕はナンパを教えている。教えて上手くなる人もいれば、あまり上手くならない人もいる。凄いスピードでテクニックを吸収していく人もいれば、上手くいかないことによって自己嫌悪に陥ってしまう人もいる。教えていて思うけど、ナンパは薬にも毒にもなる。しかも、その効果はどちらになったとしても大きい。
教えているからには、薬にしたい。だけど、必ずしも薬になるわけではない。薬にならないのはなぜなのか。その答えがナンパと自傷とを重ね合わせたところにあると感じた。

僕は色々なナンパの物語を知っている。自分の物語、友人のナンパ師たちの物語、ナンパを教えさせてもらった人たちの物語。こうした物語について、自傷という一見否定的な側面から語らせてもらうことを許してもらいたい。これはナンパを否定したいがために行うことではない。ナンパの全体像をより正確に捉えたいという自らの欲求によるものである。

コミュニケーションについての様々な自己啓発的な書籍があったり、ネット上にも様々なナンパや恋愛のテクニックが書かれた記事がある。それらにはいかに異性を落とすかということが書かれてあり、そうしたことが出来ることが素晴らしいことだと思わせてくれる。

しかし、僕は世間のナンパ師たちが言うようにナンパすることが素晴らしいことだとは思わない。これはある特定の欲求、自己嫌悪に引っかかった人間だけがする行為だ。
だから、このナンパのためにノウハウなど必要なのだろうかとも思う。多分、それは僕自身が出来るようになったからそう思うのかもしれない。自分がナンパをやったこともなかったとき、それを手ほどきしてくれる人がいたり、或いは情報があれば安心出来ただろう。僕も当時はそういった情報をネット上で拾ったりもしていた。だけど、振り返ってみて、自分を動かしたのはそういったナンパに関する情報などではなかったと思う。無差別に人に声をかけて、どうにかして誰かとセックスせずにはいられないほどの切迫感、他人を求める欲求があったのだと思う。

病的なまでに他人を求める人間は時に魅力的に映る。大胆であったり、繊細であったり、他人を惹きつける術を生まれながらに知っているかのようだ。精神的に不安定であればあるほど、他人を必要とする。それはちょっとセックス出来ればいいと思っているような人が他人を求めているというようなレベルの話ではない。他人に認めてもらえなければ、自分自身を保つことが出来ない人たちがいる。だから、彼らは必死で他人を惹きつけようとする。そういう人たちは抜かりない。反対に、ナンパなど、そのための行動において、やって当たり前のようなことが出来ていない人はそこまで他人を必要としていないのだと思う。女の子とセックスするために声をかけるのに、服装が小汚かったり、清潔感がなかったり、ちょっと考えれば分かるようなことが出来ていない人は、そこまで他人を求めていないのかも知れない。切迫感がないのだろう。

童貞の人にナンパを教えることが多い。彼らの中には、そうした切迫感のない人たちもいる。彼らはとりあえずナンパの講習を受けに来る。どういう意気込みで来たかと聞くと、平然と「なんとなく来ました。」などと答える。やる気がないのだなと思う。僕にナンパ講習代二万五千円を払うことで、今後の風俗代が浮くかもしれない。風俗代のことを考えれば、僕の講習が全く効果のない詐欺のようなものだったとしても、賭けてみる価値はあると思ったのかもしれない。彼らは自身の現状の悲惨さを感じつつも、それを見ないようにしている。だから、必死にナンパが上手くなろうとはしない。

大切なのは、切迫感だ。それが人の想像力を働かせ、その人を前に進ませる。切迫感がなければ、人はなかなか自分がしたこともないようなことをしないし、したとしても、当たり前のことすら想像するにいたらない。なんとなくやって、なんとなく失敗して、何に失敗したかも分からないような中途半端なことをしてしまう。切迫感のある人間は身を投げ出し、失敗はすれども、成功することに向かって行こうとする。

これから僕は自傷行為という、自らの精神を守るために身体を傷つける行為になぞらえながら、ナンパについて考えようと思う。
それが腕のいいナンパ師の人間像を捉えるための方法になるかもしれない。

 

2 自傷行為とは何か——表現出来ない気持ちを落ち着かせるための行為

この本には自傷行為とはどういうものかということについて、詳しく書かれてある。

本を読んで自分なりに簡単にまとめてみると、
自傷行為とは、自分の気持ち(特に不安や緊張、自己嫌悪)を感じたり、表現するのが苦手な人が、自分自身の健康を害する行動をとることで気持ちを落ち着かせる行動である。それは他人に知られず自分一人で行われる。しかし、始めは気持ちを落ち着かせられていても、次第に自傷行為をしても気持ちが落ち着かないばかりか、どうにか気持ちを落ち着かせるためにさらに激しい自傷行為をするようになることもある。その過程で、人に自傷行為が見つかったり、心を開いて打ち明けたりすることもある。その中で自傷行為をすることによって、他人を自分に注目させることが出来るということを学ぶこともある。一般的に、自傷行為とは構って欲しさから生まれる行動だと言われることが多いが、そうではない。発端は自分でもはっきりと認識出来ず、他人にも表現出来ない気持ちを落ち着かせるためにとられる。研究によって、自傷行為によって気持ちを落ち着かせる脳内麻薬が分泌されることも実証されている。

自分の気持ちを表現出来ない人はナンパをしている人にも多い。彼らの中には、家庭環境の問題や、過去に人に裏切られたことを気にしている人も少なくない。ナンパをしている理由や、関係を持っている女性に対してどう思っているかなど、個人的な感情や感覚に焦点を当てられたときに言葉に詰まったり、その答えを言わずに怒りの感情を示す人が多い。

 

3 地蔵を克服するための脳内麻薬——声をかけると気持ち良くなる

また、声をかける前はそわそわと落ち着かない状態であったのが、声をかけることで気持ちが落ち着く効果、或いは心地良い興奮状態になる効果もある。どんな手練のナンパ師でも、「声をかける前はいつも緊張する。」と言う。いわゆる声がかけられない地蔵状態は誰もが経験するところであり、その状態を克服するということは、声をかけることによって生じる興奮状態になるということであるとも言える。

ナンパが出来る人と出来ない人はこの効果を利用出来るかどうかという点にあると思うことがある。声をかけようとしても、一度も声をかけずに終わる人がいる。或いは、断られても傷つかないように中途半端に声をかけることを続けて、声をかけた気になる人もいる。断られて傷つくのを覚悟して声をかけて初めて、この脳内麻薬が分泌される状態になる。そのときには既に声をかける前に感じていた恐怖心はなくなっている。こうして声をかけて地蔵の状態から声かけが上手く出来るコンディションに自分を変えられるかどうかというところが重要だと思う。また、慣れてくるとこのコンディションを声をかける前から作ることが出来るようにもなる。

参考:その行為について(「だが、おかわり」より)
ナンパで声をかける前とかけた後の心理状態の変化、緊張と興奮の主観的な感覚が描かれている。

 

4 セックス依存症——人はセックスをすると落ち着くように出来ている

ナンパの自傷的な側面を見るとき、セックスに対する依存的な傾向を無視することは出来ない。セックスにおける射精はもちろんのこと、他人が自分の前で裸になったという満足感が気持ちを落ち着かせる。そのため、ナンパに慣れてくると、誰でもいいからセックスがしたくなることがある。その渇望が強くあるときは不細工でも構わないこともある。セックス依存症が描かれた映画の『SHAME』では同性でも構わないからセックスをするというシーンもある。
ナンパし始めの頃はセックス出来たということを嬉しく感じる。成果を得るのが困難で、それをやっと得られたときには単純に喜びを感じられる。簡単に成果を得られるだけのスキルを身につけて、セックスが日常的になってくると、依存的にセックスをすることを欲するようになる。

その状態になるとナンパし始めの頃にしていた躊躇がなくなってくる。アルコール依存症の人が躊躇せずにアルコールを求めるように、セックスを求める人間の姿を思い浮かべて欲しい。何が何でも手に入れるという状態である。この状態の方が上手くいくのは説明するまでもない。

 

5 対人恐怖の克服から依存、不安症へ——ナンパの目的が気づかないうちに変わっていく

ナンパを始める人の多くは人と接することに自信がない。漠然と他人に対して恐怖心を抱いている。その克服のためにナンパを選ぶ人が多い。
それが自分自身の変化ではなく、成果を求め始めたときに依存的になる。このとき、そもそも何のためにナンパを始めたのかということを忘れてしまっていることが多い。それがもし対人恐怖だとしたら、自分の対人恐怖、他人を前にしたときの緊張感は軽減したのか、それとも変化はなかったのかを意識しなければならない。そうではなく、ナンパでの成果に意識を向けてしまうと、その数や質を追うことに執着して、自分を見失ってしまう。ナンパの目的が、当初の対人恐怖の克服から、いつの間にか、より多くの女性とセックスをすることになってしまう。

その依存的な状態、自分の本心を気づかないようにしながら心を落ち着けるためにする自傷行為としてのナンパを続けることが悪いというわけではない。依存的な状態の中では、見知らぬ女性に対して躊躇なく声をかけ続けることが出来る。その中で様々なことを学ぶことになるだろう。ただし、その行為に没頭することで、自分自身のことを引いてみることが出来なくもなる。だけど、同時に没頭しなければ見出せないこともまたある。

 

6 自傷的であることを避けるために

女の子とセックスをすれば、一時的な不安を逃れることが出来る。だけれども、それが自分が心から望んでいたことではないことは分かっている。それは一時的な逃避行動でしかない。自分が望んでいることを知らず、ウズウズした気持ちを抑えるために他人に声をかけたり、セックスをしたりするのだ。ナンパをしていたら時折出会う、リストカットをしている女の子と変わらない。そして、彼女たちも自傷的な感覚でこちらのナンパに応じてくれているに過ぎない。一時的な性交渉で互いに互いを傷つけ合いながら心を落ち着かせるために、相手を利用している。だから、ナンパ師と自傷的な傾向のある女性とは相性が良い。だけど、そんな関係を続けたとしても、自分のためになることは殆どないと個人的には思う。

ナンパは、或いは多くの人間と無差別に接することは、深海に潜ることに似ている。潜れば潜るほどリスクが伴う。戻れなくなってしまうかもしれない。その代わりに深く潜れば潜るほど、何かを得られるかもしれない。だけど、同じ深さに毎回潜るように、同じような対人関係を続けていても、特に何かが得られるわけではない。それは対人関係に依存して、求めるものもなく、自分の気持ちを落ち着かせるために続けている、自傷行為に似たものになってしまう。その自傷的な状態を避けるためには、常に自分の心に意識を向けようとすることが必要だ。声をかけて、セックスをして、なんとなく安心したり、喜んだりするのではなく、テクニックをより磨こうとするのでもなく、声をかけたとき、セックスをしたときに自分がどう感じたのか、以前と感じ方がどう変わっているのか、その感覚の変化を自覚し続けることで、ナンパが自分を落ち着かせるためだけのものではなくなる。そうして、ナンパに対する抑えられない欲求からゆるやかに抜けていくのだなと周りのナンパをしている人たちや自分自身を見つめ続けて思う。
大切なのは、それが自傷的だと自分で気づいていること、そして、その自傷行為をすることに満足しないことだと思う。なぜ今自分はこんなことをしているのか、そのことについて見つめ続ければ、その出口が次第に見えてくる。

【USTREAM】「メンヘラ的家族論」ぶつかり合いながら変化していく関係性について

家族って何だろうと思う。家族でなければ、縁を切ってしまえば終わる。でも、家族は縁を切ろうとしても、ずっとついてまわってくる。

親って特別だ。自分はその人から生まれてきたという事実は、人にとって一番大事なことだと言ってもいいと僕は思う。そのことからは逃れられないし、そのことを受け容れなければ先に進めない。

カウンセリングをしていると色々な家族の問題に突き当たる。それは周りから見たらありふれた話かもしれないけれども、当事者からしたらどうにか解決したい問題、色々な出来事の中でチラチラと頭の中に浮かんで来てしまう問題だったりする。

USTで友人の小野さんと家族について話をした。最近、小野さんは家族との関係が大きく変わった。USTの中で、母親と殴り合った話が出てくる。彼女は二十数年間硬直していた家族関係を子どもという立場から変化させた。

僕もそうだった。そして、それと同時に、それを受け容れてくれた母親がいる。家族の中では、子どもが家族関係の変化を促すドラマが発生するものなのだと自分のこと、他人のことを見ていて思う。

特に小野さんの家族の話は家族関係に悩んでいる人には是非見てもらいたいと思っています。家族について、とても大事に、アグレッシブに考えさせてもらえる話です。

みゆきなんのゆるばかトークvol9 w/@lesyeuxx 「メンヘラ的家族論」