月別アーカイブ: 2012年9月

USTREAM『忠と私』

友人の小野さんUST『忠と私』をした。

今まではqqilleと『ナンパの手帖』としてナンパの話をする番組だったけど、彼は抜け、今回は小野さんと二人。もともとは二人でやっていたので、元に戻ったという感じ。彼女とはいつも喧嘩している。「お前を絶対許さない。」「もし今度同じことしたら呪い殺してやる。」などということを互いに言ってしまうような仲である。これがメンヘラ同士の腐れ縁なのだろうかと最近思う。

彼女も僕も最近はAV監督の代々木忠とその作品の中で描かれるセックスに関心を持っていたので、代々木忠についてUSTしようということになった。(代々木忠については代々木忠の作品を見ながら、ナンパを教えることについて考えるに書いてあります。)

宮台真司さんとナンパのトークイベントをやらせてもらってから、自分が自分をぶつける相手について考えるようになった。ずっとナンパ、カウンセリング、催眠術の分野で自分が学ぶべきものを持っている人を探していたけれども、宮台さんとお会いしたとき、それはどうやら違うようだということを思った。世界は広い。その世界を僕は限定してしまっていた。いくらでも凄い人、しかも僕がカウンセリングの能力として求めるべきものを持っている人は色々なところにいるのだと思った。僕は宮台さんの話し方に、トークイベントの五時間の中でとんでもなく影響を受けさせてもらった。そうして、また新たな人を探していたときに見つけたのが代々木忠だった。

このUSTの中では、結局代々木忠の話ではなく、小野さんと僕のセックスの話が語られているけれども、僕の話ははっきり言ってどうでもいい。この中では一人の女性の性の歴史を見てもらいたい。彼女がいかにカチカチ山、セーラームーンを経て、オーガズムに達したのか。

小野さんは本当に無茶苦茶だ。僕に対して失礼なことをしてきては僕が本気で怒るということを繰り返してきた。ただ、今から思うと、それは彼女が自身の変化に対して貪欲であったということの表れだったのだと思う。彼女はまた僕を怒らせるような無茶苦茶なことをして、わけの分からない内省をして、試行錯誤をして、また戻ってきた。戻ってきたときの彼女の姿は美しかった。彼女は無茶苦茶なことをする。だけど、エネルギーの量と直感の鋭さをもって、彼女の内面がどういう道を辿ったのかは分からないが、知らないうちに別人になっていたりする。その彼女の変化のエネルギーが画面を通して伝わると思う。

そして、放送中にAV男優の太賀麻郎さんが視聴して、コメントもして下さっていた。
その後にブログで「忠さんと俺」というタイトルでこのUSTについても触れて下さっている。とても有難い、素晴らしい記事だったのでオススメさせて頂きます。

代々木忠の作品を見ながら、ナンパを教えることについて考える

多分、知っている人は知っていて、でも、それほど多くの人には知られていないような気がする。僕が代々木忠のことを知ったのは下北沢の気流舎でハーポさんにドキュメンタリー映画『YOYOCHU』を紹介てもらったことがきっかけだった。

一つの分野において、偉業を成し遂げている人について僕が何かを言えることはないし、そもそもこのブログは何かを紹介するものではないから、なんとなく僕が代々木忠の作品や著書を読みながら考えたことを書いていこうと思う。

ナンパを教えるって何だろうか。僕はナンパをしている人に手を出すことは出来ない。もちろん、されている女の子に働きかけることも出来ない。ただ、見ることしか出来ない。代々木忠の作品を見ていると、そのことについて考えさせられる。

代々木忠はカメラ越しに何かを語りかけることしかしない。それも、男女の絡みが始まる前くらいで、始まった後に声をかけることは殆どない。ときどき、事態が硬直しているときなどに声をかける程度だ。ただ、絡みが始まる前、女性に対してはしっかりと語り合う。映像でもそうなのだけど、著書を読むと、映像を撮る前にも相当時間をかけて、出演者と話をしているようだ。彼女が走り出す準備をしている。そして、走り出したら走り出すがままに任せる。そういう感じだろうか。

エリクソンのことを思い出す。彼はクライアントを馬に喩えていた。馬は勝手に走る。行き先は彼だけが知っている。だけど、少し横道にそれたり、迷ってしまったりしているときだけ、手助けするだけで、あとはその馬が走るがままに任せればいいというようなことを書いていた。代々木忠の作品はいつもそうして撮られているように思う。どこに行くかは分からない。だけど、進むように準備だけは入念にしておく。

僕がナンパを教えるときもそうだ。僕もクライアントがどこに進むかは分からない。結局ナンパをしないかもしれない。してもしなくても、僕としてはどちらでもいい。ただ、彼の進む方向に寄り添っていくしかない。そのために必要なテクニックやメンタルのコントロールの方法は知っている。必要があれば、それを差し出す。なければ差し出さない。予めこうすればいいと決められたことなんてない。テクニックはその人が必要としたときにしか身に付かないことを知っているから、僕はじっとその時を待つしかない。

ときに代々木忠は強引とも見えるようなことをする。セックスしたくないと怯えている女性に対して、早く犯せと男優を促す。『ザ・面接』で強引にいくことに慣れている男優も狼狽えるくらいに、その女性は拒絶している。それを毅然とした態度で促す。他人の何かを変えるためにはリスクを顧みないエネルギーが必要になることもある。それは乱暴さではなく、変化することに賭ける意志というか、エネルギーというか、そういったその人が人間に対して持っている思いのようなものが凝縮された形で発せられたものなのだと思う。

僕はカウンセリングを生業としている。僕自身もうつ病やパニック障害、対人恐怖症になって色々なカウンセリングを受けた経験がある。そのときに出会ったカウンセラーたちは間違いを犯したくないようだった。僕の言われて一番嫌なところには刃物を突きつけてこない。だから、僕はその人に何度会ったところでどうにかなるわけでもない。でも、ある日、刃物を突きつけてくるカウンセラーに出会った。そのとき、僕の病気は回復に向かい始めた。それから、そのカウンセラーの方にお願いして、カウンセリングを教えてもらうことになった。カウンセリングを教えてもらう中でも僕は何度も刃物を突きつけられた。僕はそういった刃物の存在を大切に思っている。人間について何らかの信念を持っていなければ、その刃物を持つことは出来ないと思っているから。

そういった刃物を持っている人の声は優しい。柔らかく、聞いている人の心を包み込んでくる。包み込まれて、そこから逃れることは出来なくなる。逃れられない、もうどうとでもして欲しいと思っても、その人は何かを指示することはない。ただ柔らかく心を包み込んで、「お前はどうしたいんだ?」ということを聞いてくる。それを言うまで、つかまえて離してくれない。

ただ、それでも、そのとらえられたところから逃げ出す人はいる。僕はこの部分にも関心がある。代々木忠が引き出せなかったところ。一人の人間が他人に対して何が出来るのかという問題だ。『快感マトリックス』の中の赤坂のクラブのママのケースはその一例だ。詳細については映像を見て頂くことにして…「ここまで代々木忠が迫っても、こいつ逃げんのか…人生が変わる機会なのに勿体ない…」と僕は思った。でも、自分を解放しないこと、変わらないことが、そのときの彼女が生活するための方法だったのかもしれない。それを代々木忠はもちろん無理矢理に追うことはない。下手なカウンセラーは、それを追ってしまうものだと僕は思っている。自分が他人に出来ることを弁えていない。他人に対しては結局のところ、観察者でしかあり得ないのだというところ。僕はカウンセリングをしているとき、ナンパを教えているとき、クライアントの心の中に思い切り手を突っ込んで、引っ張り回してやりたいと思うことがある。だけど、そんなことは出来るはずがない。ただ待つしかないこともある。だからこそ、優秀な人がどこまで相手に踏み込んで、どういうところで踏み込まずに留まるのかということに興味がある。代々木忠のビデオを見ていると、そのことについてたくさんのことを勉強させてもらえる。

なんか書きたいことはたくさんあるけど、一先ずこの辺で。
また書きます。

渋谷でナンパを教え続けて思うこと

ナンパを教え始めて、一年ほどになる。

カウンセリングのときはクライアントの方に三時間、時間をとってもらっている。大体、一時間半、二時間で終わるけれども、二時間にしてしまったら、残り時間が気になってしまう。だから、三時間にしている。早く終わったら、帰る人もいれば、帰らない人もいる。何かして欲しそうな人には一緒に呼吸法をしたり、催眠術をかけさせてもらって遊んだり、一緒に散歩したりすることもある。スカウトをしていた頃は、スカウトをしている姿を見せながら声のかけ方について思っていることを話すということもあった。

一年ほど前のある日、その日のカウンセリングが一段落ついたとき、クライアントの方に「高石さんってナンパ上手いんですよね?」と聞かれた。そして、その方はびっしりとナンパの質問が書かれたノートを広げた。僕はその質問に一つ一つ答えながらも、それに答えることには意味がないと途中から思い始めた。

その人は半年ほど、週末に街に出てナンパをしているけれども成果がないと言う。質問に答えたあと、一緒に外に出ようと提案した。多分、彼の問題は、彼のノートの中にはないと僕は思った。彼の身体の動きの中にあるはずだ。

声をかけてもらって、それをじっと見続けた。その頃はまだ僕の中でナンパの理論みたいなものがあったわけではない。ただ、なんとなく見て、なんとなくおかしいなと思うところを伝えた。女の子との距離や彼が持つ緊張感、姿勢、なんだかおかしいなと思うところを伝えて、意識出来るだろうと思うところを改善してもらった。声をかけるとき、女性との距離が遠過ぎた。また、ターゲットにしている女性があまり綺麗な容姿ではない人が多かった。そういう人たちは自信がない。だから、かえって、相手の方が怯えて話を聞いてくれなかったりする。反対に自分に自信がある人は話を聞いてくれるが、こちらが余程きちんとしていないと結局は相手にしてもらえない。

その日、彼は数声かけ目で連れ出しをした。上手くいきそうだったので、僕はメールで帰る旨を伝えて帰った。

彼には週末に声をかけることをやめて、その代わりに毎日最低一人には声をかけることを約束してもらった。ナンパははじめの一声かけ目が難しい。それが出来なくて、結局声をかけれずに帰る人が多い。はじめにクリアすべきところはそこなのだ。週末に「よしやるぞ」と意気込んで外に出たとしても、一人目に声がかけられなくて地蔵になっては意味がない。それなら毎日、一人目に声をかけることをトライしてもらった方がいいと思った。

そして、毎日、自分の声かけを丁寧に反省した方がいい。週に数回、何時間か時間をとってナンパをして、ナンパをした気分になるよりも、毎日、自分の声かけについて考えた人の方が確実に上手くなる。ナンパでは、数をこなすことは大事だ。ただし、毎回自分のやったことを考えるならばという話であって、何も考えずにがむしゃらに声をかけ続けることには意味はない。そして、いつでも声をかけるという意識をもって外を歩いた方が、良い緊張感を持って一日を過ごすことが出来る。

それから一週間後、彼が金曜日の渋谷で出会ったばかりの人とセックスしたとツイッターに書いていた。僕はびっくりした。まさかそんなに早く上手くいくとは思っていなかった。でも、今なら分かる。彼が長い間試行錯誤してきたもの、そして、ナンパに対する意欲が花開いたのだろう。

どんなに意欲があっても、おさえるべきものをおさえなければ、成果が出るのは難しい。また、どんなにおさえるべきものを器用におさえたとしても、意欲がなければ、成果が出るのは難しい。

それから、彼は成果をすぐにあげられるようになっていった。そして、ナンパで知り合った女性と付き合うことになり、ナンパはやめたという連絡をもらった。

渋谷に来ると、いつもこのことを思い出す。彼がきっかけになって、僕はナンパを教えることを始めた。ずっと声かけについて試行錯誤はしていたが、それを人に教えられるものなのだということを彼に教えてもらった。

今日もナンパを教えていると、僕が教えさせてもらった人がナンパをしていた。また、全く話したことがないが、いつもナンパしているナンパ師もいた。彼らは毎日いる。営業マンという感じの風体だ。心を開いていない、固い雰囲気で、街をジロジロと見渡している。そして、ターゲットを見つけた瞬間にぐっと身体に力が入る。近寄っていき、話しかける瞬間に満面の作り笑顔になる。いかにもナンパらしいナンパだ。いつも見ながら、それが女の子にどういう影響を与えるのか、参考にさせてもらっている。

皆、様々な目的をもってナンパをしているのだなと思って見ている。そのターゲットとなる女性たちがいる。その女性たちだって様々である。代々木忠のAVを最近ずっと見ていて、女性たちのライフスタイルに目を向けることが多くなった。男性も女性も、何らかの空白があって、その空白を埋め合う者同士が一時的に結ばれ合ったり、或いは結ばれなかったりする。何か僕には、ナンパというものが、ただの声かけの技術によってどうにかなるというものだけには見えなくなっている。個々の人生として、人間としての一つの可能性を体現する一人の人間が、また別の人間との関係を結んで、互いの変化を生むことに見えている。もちろん、その変化が生じることは少ないけれども。

以前はずっと身体の動きを見ていたけれども、その身体の動きを越えた、個々の人間の抽象的なイメージが重なり合っては離れていくように見えている。だから、下手なナンパをする人を見ると、何者とも重なり合うことはない、その人の閉じた抽象的なイメージが、ただ街の流れの中で孤立して見えている。それは道を歩いている女性だってそうだ。この人は他人と重なり合わないというように見える人が多い。僕はそれをどうにかするために、自分自身を開いた、ふわふわと漂うようなものにして、その閉じたイメージの周りに自分を覆いかぶせていくようにする。そうすると、彼女の雰囲気から、彼女自身の性格や生活のイメージが自分の中にフラッシュバックのように押し寄せてくる。それが僕の中に彼女に話しかけるための熱を生む。その熱を相手に届けるように声をかければ、閉じた人を開かせることが出来る。

でも、こんなことが出来ても、自分が幸せになることはないということは分かっている。これはただの閉じた人を開かせる、他人に対して自分が主導権を握るゲームなのだ。それによって、自分の何が変わるというのだろう。

クライアントには、ナンパを早くやめられるようになってもらうのがいいのではないかと思っている。出来ないうちはこのことに執着してしまう。でも、出来たときに、別のことに目を向けられるようにあって欲しい。或いは、始める前に、そもそもナンパをする必要があるのかどうかを考えてもらう必要がある。それでする必要がないと思えたのなら、やらない方がいい。ナンパはお金もかからないし、なんとなく安易に始められる。だけど、始めた人全てが上手くいくものではないどころか、成果をあげられる人はそんなに多くはない。成果をあげられるようになる人には、そうなる何らかの意欲がある。それがないのに始めてしまったら、自分が上手くいかないことに自己嫌悪だけを感じることになってしまう。それでずるずると、成果をあげられずに続けてしまっている人を見ると悲しくなる。だから、教えて欲しいと来てくれた人に、ナンパをやめるように説得することもある。「君には無理だし、時間の無駄になるだけだから」と。それでもやるのなら、きっとその人は上手くいくのだろう。

僕はナンパを教えることをやめられない。まだこんなことを延々と続けるつもりなのかと思うことがある。でも、まだ飽きない。多分、何かにとりつかれている部分があるのかもしれない。でも、これをやればやるほど、人が見えてくるし、自分が何を思っているのか、何に執着しているのかが見えてくる。お金をもらってやらせてもらっていることだから、人の役に立たなければいけないのは当たり前だけど、ナンパを教えさせてもらいながら、自分のことを考えさせてもらっているなと思って、クライアントの方には感謝している。