月別アーカイブ: 2012年3月

『ラポールと身体知』感想:トランス状態という謎の状態を自分で体感し、理解できました

『ラポールと身体知』に参加して下さった方に頂いた感想です。

 

ナンパは日常的なコミュニケーションの一種であると述べているのを見て強い共感を持ちました。
そして記事を読み進めていくと「トランス」という言葉が何回もでてきました。
また、コミュニケーションの鍵となるトランス状態がよくわからないというのと同時に強い興味を持ちました。
講座に参加してみようかなと思ったのはこういった理由からです。

実際に講座に参加したことによってトランス状態という謎の状態を自分で体感し、理解できたことがすごくうれしかったです。また、自分がトランス入り、相手に同調することによって、他人の感情を自分が体感したかのような気持ちになりとても感動しました。もちろんこの相手の気持ちが必ずしも正しいとは思いませんが、それはこの先訓練を続けることで、精度を高めていけばいいと思っています。

講座の後の2日間では、町を歩いている時とか外食をしている時とかに目に入る人に対して同調してみました。
そうするとその人の気持ちが自分の中に感じられ、その人に対する興味が募っていくことを体感しました。
また、同調することによって自分自身の緊張がなくなるというか、自分の中身がからっぽになるということも少なからず感じました。
言葉にしがたいですが、こういったものがコミュニケーションの本質なのかな、と思っています。

高石さんにはトランスに入る導入の部分を素晴らしい形で教えてもらえたので、これから日常的に鍛錬を行なってトランスをより深めていきたいです。

自分を手放して、コミュニケーションの質を変える方法/『実践ヴィパッサナー瞑想 呼吸による癒し』

何故瞑想の本の紹介をするのか

瞑想の本を読んでいた。
ここはカウンセラー、催眠療法士による、ナンパブログである。
それが何故瞑想の本を紹介するのか、というところから始めなければいけない。

ナンパに限らず、あらゆる対人関係の中で感じるストレスは自分の中の価値観によるものだと思う。
「可愛い女の子は自分のことなど相手にしてくれない」
ナンパしているときによくある思い込みだけど、実際はそうではない。それは勝手に自分が思い込んだだけのこと。
それだけではなく、色々な価値観が他人と接する時に邪魔をしてくる。他人と出会うということは、自分が知らない間に持ってしまった価値観に気づかされるということでもある。

またそうした価値観を持ったまま、無理矢理に声をかけようとすると身体の動きがぎこちなくなってしまう。特に不安によって生まれた緊張を、虚勢を張るという別の緊張によってどうにかしようとするとそうなる。

僕はナンパを教えさせてもらう時、いつもこうした緊張をとってもらうように催眠の誘導をさせてもらっている。そうすると、その人の身体の動きは自然になって、より人に聞いてもらいやすい声のかけ方に変わる。いわゆる、どうすれば人に話を聞いてもらえるかというような、身体的なノウハウは伝えない。その人がリラックスすれば、自然と良い声かけに変わる。

ナンパは結局は自分を知るという作業の繰り返しだし、より自分を知れば知るほど、自分の身体のコントロールは自由に出来るようになっていく。人の身体はその人の思い込みによって、自由に動かすことを制限されている。

だから、僕は今までもずっと瞑想をしてきた。
催眠を使ったり、ヨガをしたり、色々な呼吸法を習ったりした。

瞑想する、トランス状態を経験する

何かのために瞑想に入ろうとしない方がいい。
ただ、自分を見つめるため。
よく、自己啓発系のものだと、自分の夢(と呼ばれる社会的な価値観によって持つことを余儀なくされた欲)を叶えるためにトランス(=瞑想状態)に入ることをする。でも、それはある意味、自分を新たな夢で欺くことに似ている。

西洋ではイメージが現実的な重要性を持っていて、自己実現するためにはイメージを変えることが必要だと考える傾向があります。惨めな自己イメージから良いものへと移り、それから最高のイメージへと移行するわけです。あなたは悪夢から幸せな夢へと引っ越ししているのです。修行の見地からいうと、これらすべてのイメージは同等であり、しかも同等に偽りです。充分に長く修行を続けていると、あなたのすべてのイメージは、大切にしていたものでさえもが打ち破られていくでしょう。あなたは完全に夢をあきらめてしまいます。そのときあなたは目覚めることでしょう。

トランスに入るということは自分を今までの価値観から解放すること。自分の心を改めて見つめ直してみることである。そうすると、フラットな目で改めて自分のことを客観視することができるようになる。

修行によって得られる静寂、それが良いサマーディの強味です。それによって心の感度がずっと高まります。そのような静寂は命に満ちています。その中に入るとさらに生きいきとして、そこから出て来るとより知的になっています。もう何万回も見たようなものを見ても、初めて見るように見えてきます。

そうすると、自然に問題は解決する。

問題解決の方法である

サイコセラピーを受けてきた瞑想者たちは、ある問題がなくなるだけでは満足しません。彼らはその問題を分析できなければ、終わったとは感じないのです。しかし私たちが学んでいるプロセスは知的なものではありません。前にも言いましたように、この修行では、問題は解決するというよりも、溶けてしまうのです。問題は自覚によって焼き尽くされてしまいます。

仏教の教えには三つのステップがあります。最初のステップは…本を読む、話を聞く、議論する。二番目は学んだことを実践してみることです。ブッダが言ったことをすべて読んだとしても、それを修行に移さなければ、それほどの効果はありません。知的理解それ自体はそれほど人を変容させる力を持っていません。それはある意味で興味深くて役立つものかもしれませんが、限定されていて、その言葉が最初になぜ語られたのかという理由にはほとんど関係してきません。三番目のステップは深く洞察すること、自分自身を深く見ることです。その見ることによって苦しみが終わります。それがブッダの教えの全体的な目的です。彼は哲学的であろうとはしませんでした。ブッダは実践的であったことで有名です。

手放すことをあなたが「する」のではありません。それはあなたが呼吸を「している」のではないのと同じことです。あなたは手放すことが勝手に起こるのを、完全に無作為に見ているだけです。

自分を見つめることで問題は解決する。
人からアドバイスを受けてその通りに実行したら上手くいく、というものではない。
自分を見つめていくうちに、自ら解決策を見出したり、その問題に違う角度から光を当てて、どうでもいいことだと思ったりもする。

何度も続いていくプロセスである

しかし無執着の修行は遠い未来にあるのではありません。それはこの瞬間にあるのです。究極的な達成が何であれ、それはこの瞬間に起こらねばなりません。自分自身を解放する修行は継続的なものです。どんな瞬間にでも、私たちは自分が何かに執着して苦しんでいるのを見ます。それを充分に深く見るならば、固執が落ちて、私たちは解放されるのです。

私たちはともすれば、悟りというのは常にいい気分であるような経験だろうと考えてしまいます。そのような状態を望むことは、また別の種類の渇望にすぎません。真の悟りとは、そこに何があってもただあるがままの世界と共に在ることであり、違ったあり方を望むことではありません。あるいは、違ったあり方をしてほしいと願う自分に気づいたなら、その欲求を深く見ていきます。悟りとは継続的なプロセスなのです。

そうして、手放して、また新たな欲望を見出して、また行動して、自分を見つめ直して、手放して、また新たな欲望を見出して…と続いていく。
この中に自分を見つめ直すというプロセスがなければ、手放すことなく、同じことを延々と繰り返してしまうことが多い。この見つめ直すというプロセスが瞑想によって可能になる。

溺れてしまっている欲望の中から抜け出すこと

十六番目の考察は、骨を折って獲得した美しいまでに洗練された道具、あなたを今いるところまで連れて来てくれたその道具に対する執着さえも捨てるところです。これで十六の考察の正規の修行は終わりになりますが、気づきと学びは続いていきます。しかしそれは静かな心を学ぶこと、やってくる挑戦に対して滞りなく対応することのできる静かな心を学ぶことなのです。

もしナンパを自分を知るためにやり続けているのだとしたら、ナンパそれ自体を捨ててしまってもいいかもしれないし、今までのやり方を捨ててしまった方がいいかもしれない。何度も同じことを同じように繰り返す。もちろん、対象となる女の子は毎回違うわけだけど、一度出来たことを何度も繰り返すような形になってしまうと、結局はナンパによって叶えられる性的な欲求や他者に認められたという承認欲求に溺れていってしまう。

そういう今自分が溺れていっている欲求の中から自分を救い出すこと。それが瞑想なのだと思う。ただし、僕は瞑想ばかりすればいいとは思わないし、ナンパを不要なことだとも思わない。自分を知るため、というところから逃れなければ、それはどんなに他人に拒絶されたり、笑われたりしても、続けていく価値があることだと思う。そうして、執拗なまでの他者との関わりによる負荷に耐え続けた後に、以下のような体験が出来れば、それは幸せなことだと思う。

幾星屑に渡る質問に対するもうひとつの答えは「草は緑で空は青」です。もちろん私たちの誰もが知っていることなのですが、心が沈黙の中で洗われる経験から出て来たとき、そのことが真にわかるのです。それは比較を絶した経験です。修行を始めた頃のある午後のこと、私はケンブリッジの自分のアパートで坐っていたのですが、部屋から通りへ出て街角に停めてあった黄色いタクシーを目にしました。私は友達を待っていて、心で呼吸に触れながらそのタクシーに集中しました。そして真にそれを見たのです。私は黄色を見つめて、なぜそれが黄色のタクシーと呼ばれるのかを理解しました。涙がこみ上げてきました。その状態では何を見ても同じことが起こったでしょう。ぺちゃんこに潰れたビールの缶を見てもそうなったでしょう。

価値観、思い込みを手放すことでコミュニケーションの質が変わる

大事なのは、自分の価値観を手放し続けていく体験だと思う。

僕が渋谷で風俗のスカウトマンをしていたとき、色々な人から修行僧のようだと言われたことがあった。話しかけて拒絶される。でも、いかにして聞いてもらえるかを探求しながら、また話しかける。
スカウトマンに限らず、居酒屋のキャッチにしても、飛び込み営業にしても、そうした自分を知るという問題を抱えてやっている人たちには修行僧のようなところがある。
反対に、他人を操りたいという方向性に向かってしまった人にはそういうところはない。
実際、話していて面白いと思うナンパ師の方々はそういうことが自然に出来ている。
そうではない人は、その人自身を振り返るようなことをしていないように思う。
これはもちろん、ナンパ師に限った話ではない。

この瞑想の本には、そうした自分を掘り下げるためのプロセスが丁寧に書かれてある。
呼吸法を使ってやる、誰でも簡単にとりかかれるような方法と、それによってどのような体験が出来るかが書かれている。
自分を見つめること、トランスに入ること、そして、トランスに入って自分を見つめて、自分の身体の動きをよりスムーズに、他人に抵抗されないようなものにすることに興味がある人にはオススメの本です。

トランスに入ることについて少し書いてみる

怪しい文章になってしまうことを承知で、少しトランスについて書いてみようと思う。
いつもトランス、トランスと書いているけど、それが何なのかは分からないと講座に参加して下さる殆どの方たちに言われる。結局、これは身体的な状態でしかないから、言葉での説明は難しいというところからは逃れられない。

トランスを意識し始めた頃

僕がトランスに入ることを意識し始めたのは六年位前だったと思う。あのときは未だパニック障害だった。ナンパもしていなかった。当時、催眠療法のCDをずっと聞いていた。それを聞きながら呼吸法とかをしていて…今から考えるととんでもなく怪しい。

ある日、目を閉じて呼吸法をしていて、ふと漲ってくるものを感じて目を開けたら、目の前が真っ白になっていた。心身ともに万能感に溢れていて、何でも分かるような気がした。そして、時間の感覚が全くない。時の流れが止まったような感じ。自分でも驚いて、感じるままに身を任せていた。

それからずっとその状態を味わうために色んなことをしたけど、まだあれほどのものは体験できていない。もしかしたら、パニック障害が治る瞬間だったのかもしれない。色んな思い込みが一気に剥がされて、消えていったという感じがした。

それは幾度となくやってくる

それから、印象に残るトランスの体験は何度もしている。いつも、自分が入り込めるトランスが深くなる瞬間は、ある種の神秘体験のような、自分が感じたことがないものを感じさせてくれる。それは突然現れる。入り込もうとして入ったものではない。その体験のあとはいつも、前よりもトランスが深くなる。

スカウトをある程度出来るようになってきたときのこと。僕は四谷の交差点に立っていて信号待ちをしていた。そうしたら、交差点の真ん中に意識が吸い込まれるような感覚になっていって、自分が消えていくような感覚があった。そのとき、もう自分は何者でもないんだと思っていた。ずっとカウンセラーになりたいと思い続けた後に、まだダメ、自分にはなれないと思ってスカウトマンになった。カウンセラーになりたい、人から必要されたいという欲望みたいなのが、街中でたくさん無視されたりしていく中で消えていったのかもしれない。何が起きたのかは分からない。ただ覚えているのは、自分が何者でもない、透明な感覚だけ。何もかもがどうでもいい、それでいて、全てが大切だとそのとき思っていた。

執着を手放すこと

思い出してみると、自分が執着していた何かを手放した時にトランスの体験が訪れる気がする。カウンセラーというものがあるとするなら、こういう体験をする環境を人に提供できなければいけない。催眠という技術もそれを可能にするものの一つだけど、自分自身がより、こういう体験というものに通じていなければいけないということを最近思うことが多い。

トランスは万能ではない

また、深いトランスに入れるようになればなるほど、カウンセリングを流れるように出来るようになってきた気がする。はじめの頃はカウンセリングのときはすごく力が入っていたし、緊張していた。今はカウンセリング前にどれだけ深いトランスに入ってクライアントの方に会えるかということだけを意識している。
そう思うようになったのも、結局はトランスというのは万能ではないと理解し始めたからだろう。その人が持っているものを引き出すことは出来ても、無いものをとってつけることは出来ない。その人が手放せない何らかの価値観を手放すための手伝いをさせてもらったときに、トランスが訪れる。そして、今までその人が自分自身に対して見出していなかったものを見出すきっかけが出来る。
だからカウンセラーは何もその人に付け加える必要はない。付け加えようとしたり、自分自身がトランス信者でトランスに入れば何でも出来ると思い込んでいると嘘が出てくる。目の前の人の欲望を何でも叶えてあげなければいけないという気持ちになってしまう。

何でも夢を叶えるとか、そういう催眠療法を使った自己啓発系のもの、スピリチュアル系のものの胡散臭さというのはそういう嘘があるからだと思う。ないものは引き出せない。出来ることはその人の固定観念を外して、出るはずのものを出させることだけ。

トランスの中により深く入り込んでいくということ

トランスに入れば入るほど、相手がどれだけのトランスに入れる人かを一目見ただけで分かるようになってくる。はじめは相手が催眠術にかかるかどうか分かるようになってきたなと思う程度だったけど、そんなものじゃない。カウンセラーでも、ナンパ師でも、自分よりトランスに入れる人間かどうか、自分の内面を深く掘り下げている人間かどうかが分かる。

そうして、能力のある人には隠してもばれてしまうから意地を張っても仕方がない。今の自分は今の自分以上にはなれない。その瞬間は背伸びをせずに、今の自分に出来ることをやるしかない。やれないなら、すぐに自分には出来ないと伝えなければいけない。
だから、トランスは何か劇的な能力を発揮させるものではなく、今の自分をより素直に見つめるためのものだ。そうしたときに、自分の知らない自分の能力と出会うことがある。そのときは劇的に感じる。だけれども、見出すべきはそういうものではない。素直な自分というものだけだと思う。

女性ライター、ナンパ師二人によるUST ナンパの手帖


「ナンパの手帖」というUST番組をやりました。今回のテーマは恋愛について。
シリーズ化しそうなので、改めてこのUSTの紹介をさせて頂きます。

配信に関わっている人の紹介

 

小野美由紀
もはやこれほどナンパに造詣の深い女性はいないのではないかと思います。
僕の大学時代、仏文科のゼミで一緒だった友人です。
ナンパし始めてから、今までの僕についてよく知っているので話し易いです。
彼女のブログ記事、性とナンパについて考えている人間たちについては女性から見たナンパ師、或いは男性というものについて色々なことを考えさせてくれるきっかけになります。
@MiUKi_None
http://onomiyuki.com/

黒田君
いつも彼が機材を使って配信をしてくれています。
常にフラットな視点で内容や見せ方についてアドバイスをしてくれる人です。
@abdfghjkmn
黒田製作所

しんじ君
僕の知る限り、最も知性と実践的な能力を兼ね備えた上品なナンパ師。
一年ほど前、とあるナンパ師のオフ会で彼と出会った時、自分がしてきたナンパは間違いではなかったと確信しました。
二人で会っても一緒に街の人をぼーっと見たり、家でご飯を作って食べたりしています。ナンパを一緒にしたことは数回しかありません。
性とナンパについて考えている人間についてで彼のことを書いています。
ちょっと一年の総括の代わりと言ってはなんだが、高石さんのことについて書いてみるかな。もご興味があれば。彼が僕について書いています。
@qqille
性とナンパについて渋谷で考えた

f:id:lesyeux:20120321155925p:image
会場はコワーキングスペースの原宿テラスです。

内容について

ナンパについて話しています。
いつも見てくれている友人曰く、日常生活を生きるためのヒントがあるようです。本人としては自分の話したいことを話しているので、内容については書き辛いところがあるのですが、ナンパをしたい方に限らず、人間関係やコミュニケーションに興味のある方たちにも楽しんで頂けるものにしたいなと思っています。
カウンセリングや催眠術について少し触れることもありますが、僕自身はナンパも含めて全て他人と関わることとして、別ものではなく、同じものとして考えていますので、二つについて関心のある方も是非ご覧下さい。
USTの中で質問も受け付けています。

ナンパのやり方/なんて声をかけるか

ナンパって何?

街の中に立っていると、なんで皆他人に連絡先を教えるんだろうと思う。
しかも、知らない人とその日のうちにセックスまでしてしまうわけだ…。
自分の友人がそんなことしていたら、良く考えて欲しいなと思う。

そんなことをナンパを教えさせてもらう時に思っている。
でも、実際、連絡先を教える人はたくさんいるし、セックスする人もいる。

なんて声かける?

じゃあ、なんて声をかけたらいいのか。

ナンパを初めてする人が悩むのはそこだと思う。
僕も今でもよく悩む。
なんて声をかけよう…。

でも、よく考えたら、初対面の人に聞くことなんて知れている。

その人に対して質問をする。(例:今、何してるんですか?)
或いは、その人に対する自分の印象を告げる。(例:雰囲気がありますね。)
共有されている今の状態について、話をする。(例:寒いですね。)

あと、僕が絶対にしないやり方だけど、
ナンパ用に作った物語を語る。(例:地方から来てるんですけど、云々…)
*いわゆるナンパ用のキャラを作るってやつ
(ただ、これは使い方、状況によっては結構使えるものであることを知ってもいる。突然話し出された物語に耳を傾けてしまうという感じ。それはある意味、路上ライブをふと眺めてしまう感覚に近いのかもしれない。
ただ、そもそもそういう人であれば、このやり方をせずとも普通に話しかけたら、話を聞くのではないかと僕は思っている。
このやり方は結局のところ、ナンパに対する罪悪感や躊躇を感じている人にとって、話し出し始めるきっかけを与えるものに過ぎないのではないか。
この考察に関しては、いつも結局のところ結果論にしかならない。

いつもこのことを考える時、路上で化粧品を売っているベテランの方の声かけのことを思い出す。
その人は「ねぇちょっと!」と手を少し前に出して声をかける。はじめはそんなやり方で引っかかるのかと僕は思っていたけど、凄い数の化粧品を売っていることを知ってびっくりした。)

極端に言えば、「今、何してるんですか?」と言い続けてれば、それでいいとも思う。
聞く人は聞くし、聞かない人は聞かない。
他人と話したいと思っている人、寂しさを感じている人は聞くだろう。
街中において、いきなり話しかけてくる人とは絶対に話さないという姿勢をとっている人は聞かないだろう。

ちょっと捻る

だけど、それを捻ることは出来る。

その一例として、職業を当てるというのをよくやる。
「○○ですか?」と言って、なんでそう思ったかを言う。
そこに褒め言葉を入れている。

これが意外と当たったりする。直感的に言うのが大事。
関心を持っていることが伝わるし、仕事はその人の日々の積み重ねだから、その積み重ねたものを褒められた感じがして嬉しいものだと思う。

結局のところ、上手くいくときは上手くいくし、いかないときはいかない。
色んなナンパ師の人に聞いても、返ってくるのはこの答え。
僕もそう思う。
だから、自分に多くを期待しない方がいい。自分がどうとかではなくて、相手がどう思うかということをぼんやり考えていればいい。