月別アーカイブ: 2011年3月

街のナンパ師としてのいくつかの段階

はじめは誰彼構わず声をかけていた。
どんな不細工な子も手に入れられそうになればなるほど可愛く見えてくる。
その子たちとの交流の中で、女の子というものがどういうものなのか、対人関係とはどういうものなのか、自分の望むものは何なのか、認識を深めていく。

女の子を手に入れれば入れるほど、装飾された彼女たちが手に入れるに値しないような気がしてくる。
彼女たちを求める、という欲求の愚かしさ、永遠に続くかと思われる欲求。

求めるということは依存するということ。
ナンパ師である僕は彼女たちを自分に依存させる。
そして、依存させることに依存している。

次第にそれに飽きてくる。
一人手に入れられたということは、また新しい一人を手に入れられる能力を持っているということを意味する。
だから、一人手に入れて、一度の性的関係ですぐに切り捨てて、既にストックしている未だセックスをしていない一人を手に入れに向かう。
また向かう途中にストックも増やしておく。

こうやって、新鮮なストックを蓄えて、消費して、捨てを繰り返せば、相手を依存させ続けるという詰まらないことをする必要がなくなる。

そして、それにも飽きてくる。
自分が求めていたものは依存されるということ。

依存を求めるということに飽きが来る。
このままではこの依存させることに依存することに永遠に縛られてしまうから。

じゃあどこに向かっていこうか…。
僕はこれをナンパと考えていたけれども、人間関係というか、自分自身というか、他人というか、そういうものについての考えであるような気がする。

そういう形で考察を続けていけばまた新しいものが見出せるような気がする。

もう少し丁寧に書きたかったけど、一先ずスケッチとして。

自分の他者観とトランスの中で何が見出せるかを追ってみたい。

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占い

今日は当たると評判の占いに行ってきた。

名前と生年月日と占ってもらいたいことを紙に書いて渡して、時間が少し経ったら呼ばれる。
予約したら一ヶ月待ちの占い。ドキドキする。

両手を合わせて前に突き出してと言われる。
占い師さんがその突き出した両手の周りに色々なやり方で手をかざす。
彼の手は温かい。少し離れたところからでも熱を持っているのが分かる。

オーラというものを僕は信じないが、何かあるような気がする。

それから手を開いて、また占い師さんはそこに手をかざす。
そして、片手だけを互いに見ながら、また手をかざす。

言われたことは当たっていたというか、とても参考になったし、自分が気に病んでいたことをはっきりと言われた気がする。

他人の運命を読む、という不思議な能力はこの世にあるのだろうか。
僕は分からないけれど、たくさんの人を見てきた人ならば出来ないことではないかもしれない。

占い師さんの集中力を邪魔しないよう、僕も彼の波長に合わせるよう努めた。

無心で、トランスに入りながら、僕の手を見つめている。
欲はない。それははっきりと分かる。

手から何が読み取れたのかは分からないけど、欲のない人の言うことは聞き入れることが出来る。
僕にはそのことしか分からなかった。

繰り返しになってしまうけど、占いは当たっていた、というか、とても参考になった。
僕は色々なことに手を出し過ぎている気がしていたが、それで良いとのことだった。
今はそうやっていって、数年後、一つのことを見つけるに至るとのこと。

実際、色んな人が声をかけてくれる。
いい人もいれば、会わなければ良かったと思う人もいる。
どういうことがあろうとも、相手を素直に感じることが出来るように努めている。
相手が自分の中に入ってきたときに初めて相手を感じることが出来ると信じている。
そうやって、色々な人との出会いを大切に、色々なことをやっていくのがいいのかなとなんとなく思った占いの帰り道。

今はそうして後悔しないように生きていくしかない。
ナンパで声をかけるのも同じような気がする。
自分が新たに出会う人によって、自分自身の可能性が広げられるような気がして声をかける。
以前はただ、性欲に駆られて声をかけていただけだったけど、最近は余程のことがない限り声をかけることはなくなった。

別に、ナンパをしよう!と外に出たりしなくても、普段から色んな人が目の前を歩いている。
気になった人に声をかければいい。

ナンパと言えば聞こえが悪いかもしれないけど、気になった人に声をかけているに過ぎない。
誰でもいいから、セックスするのに悪くはない女の子に声をかけているわけではない。

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好きな曲。
ナンパ師の映画『アルフィー』の曲。ちょっと説教くさいけど。

ナンパで声をかけ損ねない方法

僕のブログは自分語りが多かったので、ちょっとテクニックみたいなものを少しずつ書いていってみようかなと思う。
講座の中ではテクニックについて話をする機会もあるけど、こうやって記事として残していくのは自分のためになるかもしれない。

最近、仕事をしていて、声をかけ損なったり、かけ損ねなかったりすることがある。

声をかけずに固まってしまうことをナンパ用語では“地蔵”という。
多分、お地蔵さんのように固まって、道に立っている様から名づけられたのだと思う。

そういうときに有効なのが、2秒以内に声をかけること。
道端で声をかけることはある意味、気狂いのやることだと思う。

時間が経てば経つほど、人を声をかけるなんておかしいという理由付けが頭の中に浮かんできて、その結果、思考に体を拘束されて、地蔵になってしまう。

何も考えずに、声をかけられる範囲は僕は2秒程度だと思う。2秒でも長いかもしれない。
本当はターゲットを見つけて、1秒程度でその人の歩き方や持っているもの、表情、姿勢、一人で歩いているかなどの状況確認をして、声をかけるのが望ましい。

2秒以上経ってしまって、声がかけ辛くなってしまった場合は、後悔しないのであればすぐ辞めて次のターゲットに移った方がいい。
ターゲットに対して、かけても無駄だろうという自分の作り出したマイナスイメージが秒単位に張り付いていくのを感じるのを経験者なら分かるだろう。

もし、後悔してしまう…と思ったのなら、後悔したくないという気持ちでマイナスイメージを振り切って声をかければいい。

以前、確か人に話しかけるときの○秒ルールみたいな記事をネットの心理系の記事で見たことがある。
リンクをはりたかったけど、見つからなかったので、もしご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。

探していたら、同じような内容の記事があったので、リンクさせていただきます。
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ナンパ方法論 ナンパで声をかける恐怖を消す方法

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AVのスカウト

今日はスカウトマンの友人と新宿でお茶をしていた。

そうしたら、AVのスカウトマンが近くの席に座った…!
年は45くらい。女の子は20代前半。

女の子は風俗嬢に良くある、だらだらした、ぐにゃぐにゃした話し方。
足元を見ると、ミニスカートなのに股を開いて座っている。
足の方向は出口を向いている。

スカウトの方はトレンチコートを着て、女の子をじっと見つめたまま話している。
時折、女の子の手をすっと触ったりしている。
何か、人生について説くように、AVをやった方がいいと口説いている。
上から目線である。
体は女の子のいる真正面を向いている。

二人とも笑いながら話しているが、女の子はAVの口説きに対してはやんわりと拒絶し続けている。
「他にも女の子いるじゃん」とか言いながら。

二人が立った。
パンと飲み物を注文しに行った。

女の子が先に、スカウトは後に。
注文しに行く途中、彼女と面と向かわなくなった瞬間にスカウトは「なかなか口説けなくて、面倒くさい女だ」という表情を浮かべる。
おそらく、女の子は「はぁ…疲れた」という表情だったろう。

彼らが席に戻る。
スカウトはファイルなどを広げながら、一生懸命に話す。
女の子は彼の目を見つめたまま、むしゃむしゃパンを食べる。

寂しそうな、依存するような目、でも貪欲な目。
恐らく、これだけしつこいAVの口説きに付き合ってんだから、ご飯くらい奢らせておくかという感じなのだろう。
はじめの方は開いていた股はぴちっと閉じられている。
一生懸命に聞いているという目をしている。
でも、恐らくは聞いていない。

スカウトが「こういう仕事が出来るのは若いときだけだからね」と言った。
その言葉で女の子が体を少し前傾にして食いつく…恐らく、自分の身について心配になったのだろう。
でも、またすぐに姿勢は戻った。

スカウトに電話がかかってきた。
その後、用事でもあるのか、二人は出て行った。
スカウトが先に歩いて、女の子はついていく。

スカウトは終始、俺は人生わかってるという雰囲気を醸し出している。
こんな詐欺師につかまる女が実際に世の中にはいるんだろう。
だけど、彼にどれだけの人生が分かっているのか。
人生が分かっているのなら、若い、寂しい、弱そうな、依存体質な女の子にAVをさせようとするのか。
一体何が分かって、そんな分かった顔をしているんだ。

でももしかしたら、いつかあの女の子はAVをしているのかもしれない。
いつ彼の手に落ちるのか。それとも落ちることはないのか。

そんなの、どちらでもいいけど。

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3/1

今日は夕方の四時に起きた。
それまで眠っていた、というか、ベッドの中にいた。
ベッドの中で眠ったり、メールに返信したり、本を読んだり、考え事をしたりしていた。

なんとなく、今、こういう日記のようなスタイルでブログを書くことが気に入っている。
人は何を好きになるのだろうか。
なんか、一生懸命に書かれたそれらしいものよりも、その人の肉声に近いような文章を僕は好むし、そういうものの方が一般的に好まれるような気もする。

そして、日付が変わるまで、家でまたベッドの中に入ったり、ご飯を作ったり、ヨガをしたりして過ごしていた。
それから外出して、深夜のマックで考え事をして、自分の中にまた入り込んでいた。

僕はノートに万年筆で自分の思ったことを自由に書いていくのが好き。
普段、人に話をするときはどうしても相手の呼吸に合わせてしまう。それで自分の想いを自由に描くことが出来ない。
ノートはいい。黙ってくれているし、呼吸をしていないし、反応もしない。
完全な鏡である。
でも、ノートを鏡にするにはある程度の精神の集中が必要になる。

「鏡よ、鏡…」といった具合に語りかけ続けると、ノートが次第に言葉を返してくれるようになってくる。
それまで向かい合わなければいけない。
僕は毎日、このノートと向かい合っている。最近は家の中でずっとノートを広げていて、何かある度に書いている。

僕はここ数週間、自分が何をするべきかということについて、ずっと考え続けていた。
なんだか、何のために生きているのかが分からなくて、ずっと眠っていた。
こんな30歳、いいのかなと思うけど、それは仕方がない。

ふと『失われた時を求めて』の中の芸術家の死について思い出された。

また語り手はかつて愛読した作家だったベルゴットは、展覧会でフェルメールの『デルフト眺望』を見て強い印象を受け「このように書かなくちゃいけなかったんだ」「この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」とつぶやきその場で死んでいく。聞き書きの形で語られるこのベルゴットの死の情景は、死の前年に実際にジュ・ド・ポーム美術館のオランダ絵画展で『デルフト眺望』を見たプルースト自身の経験をもとに書かれたと考えられている。
(wikipediaより)

人は何か、自分が見出したいと思ったものに向かっていくのだろうか。
自分にとって、この“小さな黄色い壁”は何なのか。

なんとなく、そんなことを思った瞬間にイメージとして浮かび上がるものが二つあった。
それはコミュニケーションに関するもの、自分が出会った人とのやりとりだった。

あのようなコミュニケーション、というか、他者との交わりにおいて作り出せる空間を自分も作り出してみたいと思った。
それを目指して生きるのなら悪くないかもしれない。

明日、起きれたら、久し振りにスカウトをしに街に出ようかなと思う。