月別アーカイブ: 2011年1月

講座をやってみて思うこと

多人数に向けて話をするというのは難しい。
一度目は本当に初めての経験だったので、自分が話したいことはこれだという感じでやった。二度目は話すことは出来るから、今度は相手が求めていることは何なのかということにより意識を向けてやろうと思っていた。

二度やってみて、何が必要かということを考えてみた。
確かにお客さんの求めていることを話すというのは大事なんだけど、そこに執着し過ぎてしまうと自分を見失ってしまう。
二度目にやったようなやり方をするには僕は未だ能力が無さ過ぎる。

もっと自分のやり方を煮詰めて、それを他人に伝えられるような形にしないといけない。
自分に対して真摯にならないと他人に話すことなんて生まれない。

僕のやっていることは世間的には大した価値を持つことではない。
スカウト、ナンパはそれこそ人に嫌がられることが殆ど。
これをどうやって、体験したことのない他人に伝える価値のあるものにするかということを考えると、より主観的な視点を共有してもらうようにしないといけない。
見知らぬ他人に声をかけるということはこういうことなんだということを、話を聞いてくれる人たちに擬似的に体験して貰えるような話し方が必要になる。

こういう試行錯誤は楽しい。やる価値がある。

催眠療法を学んでみて

催眠療法を今学んでいる。

これはとても面白い。
催眠状態に入って、自分の心に素直になって、色々なものを見つめてみることが出来る。

この前、練習のときに被験者になって、自分の悩みに対して施術してもらった。
悩みは彼女のこと。彼女と喧嘩したばかりだったので、テーマに選んでみた。

深い催眠状態の中で彼女と会って、話をしてみた。
そうしたら彼女は一言、「好きだよ」と答えていた。

なるほど…と思った。
それは僕が求めていた答えだった。
ナンパを繰り返しながら、本当に信用できる女性なんているのだろうかとずっと考えていた。
自分のようなややこしい男はなかなか他人を信用できない。
だから、ナンパして女の子が自分を好きになるのを待って、そのときの相手の女の子の反応を見ていた。
わがままになるか、献身的になるか、一体こいつの本性は何なのかと。
こいつの価値観は何か、何をもって自分を好きになっているのか。
こいつの欲望はどこにある?こいつのどの欲望に僕は触れることが出来たのか。
とか、そのような感じ。

催眠状態の中で聞いた「好きだよ」の中にはそれに対する答えが入っていた。
「相手が好きだと言ってくれている以上、自分も素直にそれを受け止めないと」
なんとなくそう思ったら気持ちが軽くなった。

人に教えること

人に何かを教えるというのはとても勉強になる。

今日も催眠術、ナンパを教えさせてもらった。
人に伝えていると、その人の素晴らしいセンスを感じることがある。

僕もあるとき、教えて頂いた先生と二人になったとき、こういう話をしてもらったことがある。
「遅かれ早かれ、その人がどういう方向に行くかは分かる」と。
その話をポツリと呟かれたとき、僕は未だ催眠についてはどうしようかという疑いを持っていた。
果たしてこれは身につける価値のあるものかどうか、そして自分はそれを身につけるセンス、価値を持っているのか。未だ分からずになんとなく勉強し続けているそんな感じの時期だった。

それから少し経ってから、僕は今まで教えてもらっている場でしか催眠を人にかけたことがなかったのに、友人やらナンパして知り合った女の子にかけ続けるようになった。
そのときから自分の中で格段に上達していったのが分かる。
かけてくれと言われたら、ベテランであるかのように振舞わないと失敗してしまう。
もちろん、やり方は今以上に拙かったかもしれないけど、なんとかやり続けてきた。
そうしたら、いつの間にか上達していた。

ナンパもそう。クラブにナンパしに行く度に自分が一番ナンパが上手いと思い込んでやっていた。スカウトのときもそう。僕がその辺の頭の悪そうなギャル男やら、チャラチャラしたサラリーマンに負ける筈がない。なんかそういう変な自信を自分はときどき持つことがある。
恥ずかしいことながら、「僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ」という気分である。

こいつはやるな!と思う人はやはり、そういう自信を持っている人が多い。
だけど、一方で謙虚に今の自分も見つめている。
そういう精神に出会うと感動して、自分もこのまま頑張ろうと思える。

あのとき、自分が先生に言われたのは励ましだったのか、何なのか、それは定かではないけど、あのとき先生は自分の才能を予言していたのだと勝手に思うことにしている。

なんかただの勘違いの日記みたいになったけど…終わります。

モスバーガーで

人は生まれて死んでいく、ということを感じさせられる。
今日、道玄坂のモスバーガーにいたとき、隣で風俗嬢とスカウトが話をしていた。

特に意味のない会話。
風俗店の愚痴などをスカウトが聞いてあげている。

ここから先、彼女と彼はどこに行く?
なんとなくそういうことを思う。

汚い格好のスカウト、醜いギャルの風俗嬢。

人間って何で生きてるのかなってことを考えさせられる。
虫のように蠢いているだけなのか。

汚れた、醜い人の中に、きちんと動いているものはあるのだろうか。
同じ人間だと思っていいのかどうか、純粋に考えてしまう。
汚い虫のように人の話も聞かずに動き回っている。

あまりいいことではないとは思いつつも、人を虫のように見てしまうことを愛している。
スカウトをすればするほど、人が虫に見えてきてしまうことがある。

見学

今日は原宿にカリスマスカウトの見学に行ってきた。
正直、僕は今スカウトという仕事に誇りを持てないでいる。
始めたときは情熱を持ってやっていたけど、今ではもう正直に言うとやりたくない。
だから凄い人を見て、自分のこのマンネリ感を打破したいという想いがあった。

原宿の竹下通りは不思議な空間だった。
アジア系の観光している人、女子高生、一人で歩いている20前後の女性、家族連れ、スカウトマン、そこを通りかかるサラリーマンなどで構成されているようだった。

ここからタレント、AV女優などがスカウトされていくのだろうか。
基本的にキャバクラのスカウトはここにはいない。(と思われる)
女の子、一人一人をゆっくりと見ながらこの通りを散策する。
僕にはどうも、ここを歩いている一人一人の中身を渋谷にいるときよりも感じられない。
何か、地に足の着いていない、ふわふわ漂っているような人たちが集まる場所のような気がする。
慣れない街の人たちだからだろうか、或いは通りに続いている大衆的な雰囲気の店に影響されたからそう感じたのかもしれない。

目的のスカウトマンは残念ながら、今日は出勤日ではなかったらしい。
その代わり、一人、忍者のように素早く動くスカウトマンがいた。
とにかく、歩くのが早い。日々のウォーキングの賜物だろう。
そして、怪しい。
顔の下半分は笑顔、上半分は動いていない、明らかに営業慣れしてしまった人の顔。
僕はこういう表情になってしまうのが怖いとスカウトをする度に感じている。

目標を見つけて素早く捕獲するのはさすがである。
ただ…僕が目指したいと思う話芸ではなかった。

いつも安い詐欺と僕が呼ぶような人たちには沢山出会った。本心を美しく、相手の心に届くように、相手の変化を促すような魔術的な形で伝えるような人と出会ってみたい。
僕の理解の範疇を越えた鮮やかな話芸を見てみたい。

自分が何を望んでいるのか、よく分からない。
未だ目標となる人に出会えていない。